「ご報告が上がっております」
寝不足の顔を片手で揉みながら、アルマドはその〝報告〟とやらに耳を傾けた。
朝の執務室には、主であるアルマドと彼の側近の二人しかいない。機能重視の華美ではない室内の壁一面に書棚が作られ、雪国アシドニアに関する多くのことが収められている。
その本の並びに溶け込むように立つ、気配のないまるで幽霊のような男が虚空を見つめて口を開いた。
「昨夜、我が王の寝室に侵入した不審人物がいたようです。偶然にも我が王とその不審人物は旧知の仲であったらしく、我が王はなぜか不審者が親切にも自ら毒に倒れたにも関わらず甲斐甲斐しく介抱し、なにやら密約を交わしたようだとか……お心当たりがおありで?」
そこまでわかっていてそう聞いてくるあたりが性格が悪い。
いつも生気がなく、青白い顔をして立っていることからゴーストと呼ばれている彼は、アルマドが信用している数少ない側近である。さらに言えば、アルマドの素顔を知る希少な人物だが、本人はそれに関していたって無関心で、主が鎧をつけていようがいまいが頓着しない。
「エミヤを私の寝室まで手引きした人間を〝根〟に探らせろ」
側近ゴーストの問いかけには答えず、アルマドはしれっとそう命じた。
〝根〟とはアルマドに仕える名もなき護衛達のことである。王家に代々仕えている表舞台には決して現れない存在であり、王自身もその顔も名前も知らない。ただそこに在り、王のために動く。
呼び名はそのときの王達によってそれぞれ異なるが、自身も少なからず薬草を育てているアルマドは彼らのことを〝根〟と呼んでいた。
「既に探らせておりますが、恐らく随分と前に使用人として雇ったアサロ侯爵の遠縁の娘でしょう。処分はいかがなさいますか」
「任せる」
アルマドは化粧棚からコーヒー豆を取り出し、ゆっくりとミルにかけてそれを挽いた。朝の日課である。
このコーヒー豆は、アルマドが贔屓にしている植物学者から贈られたものだ。
甘党のゴーストには苦くて飲めたものじゃないと酷評だったが、アルマドはこの苦みを気に入っている。
自らも栽培に踏み切った。だが、この寒いアシドニアではうまく育たない。
現在、南方にいる知り合いのもとで品種改良中だが、まだ苦みが強く価格も高い。今はまだ物好きな上流階級の嗜好品だが、この苦みをもう少し抑え栽培量を増やせば、庶民にも行きわたらせることができるだろう。
この雪国でこの飲み物は好まれる、というのが、アルマドの個人的な見解である。
「そういえば、そろそろエン技師の回診の時期ですね。いつお呼びします?」
エミヤの件はもういいのか、ゴーストは次の話題を持ち出してきた。
エン技師――アルマドの甲冑を作った街の技師である。アルマドが鎧をつけ始めた頃からの付き合いで、成長に合わせて絶妙に調整を行う腕のいい職人だ。彼もまた、アルマドの素顔を知る数少ない人物の一人である。
「執務の空いた時間でいい。お前が決めろ」
普段なら日時を指定するところだが、今はエミヤの件を優先したい。
アルマドはゴーストにすべて丸投げした。
城の中は魑魅魍魎だらけだ。あの呑気で危機感のないエミヤなど、たちまち喰われてボロボロにされてしまう。
(いや、本当にアレが素なのか――いくらでも疑う余地がある)
アルマドにとってはどちらでもよかった。
エミヤがアルマドに害をもたらすなら、大事に至る前に対処すればいい。エミヤを餌に不穏分子を引っ張り出せるならそれこそエミヤを有効活用できる。
(……エミヤ、僕は君に会わないうちに随分と変わってしまった。君はどうだろう)
エミヤの処遇を考えながら、アルマドは窓の外をちらちらと降る雪をぼんやりと眺めた。