目覚めたころにはすっかりと夜になっていた。
暖炉には火がくべられている。
そのため、外は真っ暗だが、部屋の中は暖かく明るかった。
エミヤが寝ぼけたまま身じろぎすると、逞しい腕に引き寄せられた。
ぎゅうと抱きしめられて、嬉しい。
純粋にそう思って、エミヤもその大きな身体に腕を回した。
まだねむい。からだが軋んでいる。
(――どうしてこんなに脚が重いの……)
寝ぼけた頭でそう考えて、はっとなった。
「アル!!」
慌てて起き上がり、周囲を見渡す。ブランケットがめくれて、エミヤは盛大にくしゃみをした。
「エミヤ、風邪を引くよ」
言われて、視線を下に向ける。
果たしてそこには、エミヤの下敷きになっている裸のアルマドが横たわっていた。
「――ッ!!!!」
声にならない悲鳴を上げて、エミヤはそこから飛び出した。
そして自分も一糸纏わぬ姿のまま、ベッドから落ちて剥き出しのお尻を強かに打ち付ける。
猛烈に寒いし痛い。
ベッドの上では、アルマドが体を起こして状態で大笑いしていた。
エミヤはこんな時だというのに、その笑い方に目を奪われて身体を隠すことも忘れてしまった。
「ごめん、エミヤ。落ちるのを止められなかった」
言って、涙目で床に転がっているエミヤを抱き上げる。
汗で湿った、ひんやりとした素肌がぶつかった。
何度も言うが、裸である。
「あ、ま、ま、ま」
「ま?」
服を着たい、と思うのに、着ていた服は全てベッドから離れたローテーブルの上にきちんと畳まれていて届かない。
アルマドを見るにしても、下手に視線を動かすと彼の鍛えられた肢体が目に入ってとんでもないことになる。主にエミヤが。
「ほら、ちゃんとかぶって」
めくれたブランケットをエミヤに巻き付け、アルマドは甲斐甲斐しく世話を焼いた。
もう一度言うが、裸である。
「お腹は空いていない?厨房から作ってあったものを持ってきてあるよ。水もあるけれど、喉は乾いてない?」
てきぱきとベッド横のチェストに置かれたスープをエミヤに持たせ、両手が塞がったエミヤのために水を口移しでくれる。口移しの必要は絶対になかったと思うが、この状態に冷静を欠いたエミヤは、黙ってそれを受け入れた。
エミヤがもそもそと食事を始めたのを見て、アルマドはほっとしたようだった。
それから暖炉へと向かって、薪をくべる。
更に言う。彼は裸である。
「……アル」
エミヤは、理由が起き抜けだけではない枯れた声でアルマドを呼んだ。
「なあに、エミヤ」
初めて見るような、輝かしい笑顔が返ってきた。
それをいろんな意味で直視できず、エミヤは両目をぎゅっと閉じたまま、切実にお願いした。
「服着て……」


言われた通り簡単に服を着たアルマドは、食事を終えたエミヤをそっと抱き上げた。
アルマドは服を着たが、エミヤは裸である。けれど、ちゃんとブランケットを巻き付けてくれた。
ぐるぐる巻きの芋虫のような姿で大事そうに抱かれ、暖炉の前のソファへと座る。
エミヤはアルマドの膝の上に抱えられたままである。
エミヤをまるで赤ん坊のように抱えているアルマドが、そっと口付けて来る。
まるでそうしないではいられないように、エミヤの唇に触れて、舐めて、深く繋がった。
その心地よさにエミヤもそれを無抵抗で受け入れる。
二人の息が上がったころ、アルマドはエミヤから離れ、彼女の頭に頬を寄せ、ほっと息を吐いた。
「……どうしたの?」
疲れているのに、世話を焼かせてしまったかもしれないと、エミヤはアルマドを覗き込んだ。
そんなエミヤを見つめ返し、アルマドは蕩けそうな瞳で笑った。
「君が僕の腕の中にいることが、嬉しくて」
気遣ったつもりが、ものすごいパンチを食らったような衝撃が走った。
どろどろの甘さを伴って、アルマドはエミヤに愛を囁く。
「君が城にいないと知らされて、僕は気が狂いそうだった。君が出て行ってしまったのだと、君は、僕を愛していなかったのだと、驚いて、信じられなくて……」
それは、エミヤと同じ気持ちだ。
二人して、同じようなことで傷付いていた。
「鎧を脱いで、以前よりずっと君を近くに感じるようになった。君の体温も、柔らかさも。僕が手を伸ばせば、すぐ届く場所に君がいてくれることがとても嬉しくて、反面、いつか君の意思を無視して、無体を働いてしまうのではないかと、怖かった。だから、君が眠る部屋へは帰らないようにしていたのに……、結局こんなことになってしまった。ごめんね、エミヤ」
ん?
エミヤは、アルマドの顔をまじまじと見つめた。
そんなエミヤを前に、アルマドの瞳が優しく細められる。
なあに?と甘えるように訊かれているようだった。
それにほだされて、エミヤは軽率に口を開いた。
「……私に飽きて、貴族の女の子たちと過ごしていたんじゃないの?」
エミヤが困った顔でそう言うと、アルマドの甘い顔が一気に険しい表情へと変わった。
ついでに言うと、体感温度も少し下がったような気もする。
「……それは、誰から聞いたの?」
笑顔だが、笑顔ではない。
恐ろしい顔をしたアルマドに、エミヤは怯えながらアサロ侯爵とのやり取りを話した。
「そういう算段か……」
聞き終えたアルマドは、これほどの距離でなければ聞こえないほどの小ささでそう吐き捨てた。
エミヤと言えば、自分がアルマドを疑ったことまで話すことになり、自傷気味である。
「あの、勝手をして、本当にごめんなさい。アル自身を信用してなかったわけじゃないの。アルに比べて、私はなんにも持ってないから……。どちらかというと、自分に自信がなくて、アルから逃げたんだと思う。ごめんなさい」
エミヤは、今までの人生の中で一番真摯に謝った。
こればかりは、どう取り繕ってもアルマドを傷つけたことに変わりはないのだ。
アルマドは、エミヤを信じてくれていたのに。
「いや、僕が君と会う時間を取れなくなったことが原因だ。令嬢達と茶会で引き合わされたのは事実だよ。でも、エミヤが令嬢達に言われたような意味合いで会ったことなど一度もない。それこそ、要らぬ噂を立てられてしまうからね。疑われるような隙は作らない。具体的に言うと、二人きりには決してならない、引き合わせの場でも、必ず複数の令嬢達、それから見張りの衛兵数名を置いていた。僕がエミヤに触れられなくて執務室の寝室で休んでいたのを利用して、エミヤの存在を面白く思わない人間達が意図的に噂を流したんだろうね」
アルマドは、とても丁寧に説明してくれた。
きっとエミヤに、僅かな疑問や不安を抱かせないために、そうしてくれている。
「ごめん、本当はもっと早くに、部屋へと戻らない理由を話すつもりだったのだけど、あまりに恥ずかしくて……そうして渋っているうちに本当に仕事が忙しくなってきてしまった。エミヤが城を出た日は、公共事業の事故現場に向かったからそもそも僕自身も城を空けていて、その現場の近くに一泊したから、君がいなくなったことを知るのが遅くなった」
アルマドは、エミヤの頬を寄せて、こつりと額同士を合わせた。
長く陽に当たってこなかったつるりとした額の感触に、エミヤの身体が熱を上げる。
「すぐに迎えにこれなくてごめん。一人にして、不安にさせてしまっていたね」
近距離で見つめた瞳が、悔しさを孕んでいる。
その感情が、エミヤを慮ってのことだと解るから。
エミヤの目頭は溶けそうなほど熱くなり、気付けば涙を流していた。
「私が悪い。アルはなんにも悪くない」
泣きながら、可愛げの欠片もないことしか言えなかった。
けれどその通りなのだ。
エミヤが、アナンベル嬢やアサロ侯爵の言葉に惑わされなければ、アルマドを傷付けることなんてなかった。
「悪くない。悪いのは、僕達の仲を裂こうとする野暮な人達だよ」
想いを確かめ合った心の余裕をもって、アルマドはそう答えた。
エミヤが流す涙にちゅっと吸い付いて、その味を舌で転がす。
今まで生きてきた中で、アルマドのためにこんなふうに涙を流してくれる人はいなかった。
自分と対等でいてくれる。
同じように悩み、同じように想いを抱いてくれる人がいることが、アルマドにとって大袈裟ではなく奇跡だということが、いつかエミヤにもわかるだろうか。
「エミヤ、顔を上げて」
自分の胸に力いっぱい抱き着いて涙するエミヤが愛しくて、アルマドはそっと囁いた。
「本当は、こんな形で君と夜を過ごすつもりはなかったんだ。あんな、力任せじゃなくて……僕も初めてのことだったから、君をとても怖がらせるだろうと思って、もっと慎重に、大切にしようと思っていたのに」
泣いていたのに素直に顔を上げたエミヤがとんでもなく可愛くて、アルマドはしどろもどろで言葉を繋ぐ。
エミヤが城を出たことを裏切りだと思う反面、それでも信じられなくて、出て行ってしまったエミヤが憎らしく、恋しくて。
「エミヤ、僕と結婚してほしい」
とはいっても、ノーと断られることだけは受け入れられるはずもなかった。
エミヤがもし、また悩んだ末にそう言うようなら、外堀から固めて彼女がイエスと言うしかない状況を作るつもりだった。
エミヤが手に入るなら、彼女が大切にしている妹達を利用することも、アルマドにとっては苦ではない。
「僕は、君しか欲しくない。鎧を脱いだのは、君だけを見つめ、君だけに触れるためだ」
エミヤが答える前に、アルマドは我慢できずに口付けた。
そうして吸い付いた口から、自分の香りがしたことに胸が締め付けられて、何度も何度も、エミヤを味わう。
エミヤの唇が、戸惑うように動いて、アルマドの舌を吸った。
魂が抜けるほど嬉しかった。
こういう形を望んでいるのは、自分だけだと思っていたから。
エミヤが、アルマドを欲している――。


「アル」
恍惚に溺れていると、思いのほかはっきりとエミヤが名前を呼んだ。
暖炉の光に照らされて、蜂蜜のようになった瞳が、今にも溶けてしまいそうだ。
「私、アルに側室ができたら、それこそ自分から出ていくから」
その夜は、アルマドにとっての至福となった。