そうしてエミヤなりに日々を過ごしていたが、アルマドと会えなくなって三日どころから一週間が過ぎてしまった。
こうなるともう、二度と会えないのではないかという気分になってくる。
なにせ同じ城の中で暮らしているのに、会えないのである。
アルマドは押した仕事を片付けるために執務室の隣に備えられている寝室を使って夜は休眠しているらしい。
エミヤのところに帰ることはできるが、夜も遅いということで、眠っているエミヤを起こしてしまうのではないかとエミヤに気を遣っているのだ。更には今朝がた起きたという国家事業の事故の処理に追われ、いよいよ帰ってくれないようである。
これらすべて、エン技師による情報だ。
アルマドが忙しければ、ゴーストも忙しいのである。
それから、嫌な噂も耳にする。
王へと求婚している貴族令嬢との茶会で、王が見初めた相手が何人かいるとか。
彼女たちを城に滞在させ、王と過ごす時間を作らせているとか。
それを裏付けるように、以前に増して回廊などで貴族令嬢と会うことが増えた。
大体の者はエミヤになど気付かないと言わんばかりに通り過ぎていくが、たまに嫌味を浴びせられることもあった。
彼女たちは一様に、自分が主役と言わんばかりに着飾り、その美しい所作で城で過ごしているようだった。上質な部屋のいくつかが、彼女達のために用意されたとも聞いた。
エミヤが目を引ん剝くほど美しいご令嬢も見かけた。エミヤにまで微笑みかける猛者もいた。
どこもかしこも、美しい花々で溢れている。だから、今の城は香水の香りに満ちていた。
中庭の優しい花の香りも掻き消されて、残念に思ったことも多い。
そんな、小さなことを考えることで、エミヤは膨らむ不安を見ない振りをしていた。
この不安に気付いてしまったら、きっともう立ち直れないだろうから。

ご令嬢方に絡まれるのもいやで、遠目にでも彼女達を見つけたらすぐに道を引き返していたエミヤだが、今日はそれに失敗してしまった。
「あら、ご機嫌よう」
ご機嫌なのはそちらだろう、と返さなかった自分を褒めてあげたい。
ついていないことに、例のアナンベル嬢御一行様と遭遇してしまった。
ご機嫌がいい上に、いつにも増してキラキラ輝いている。
エミヤは黙って淑女の礼を取った。
そのまま過ぎ去ってくれと願ったが、それは叶わない。
「お前も大変ね。アルマド様が素顔を見せた途端、隅に追いやられてしまうなんて」
アルマドを馬鹿にしてきた自分はどこに置いてきたのか、そんなことを言う。
貴族令嬢ならもっと遠回しに言葉を選べ、とエミヤは心の中で悪態をついた。
「あの美しいお顔をお前は拝見したのかしら?まさか鎧のアルマド様しか知らないとは言わないでしょうね?」
悪くない造作が魔女のように見えてくる。
醜く上がった口角に、根拠のない自信のようなものが見えた。
「僭越ながら、一番初めに拝見させて頂きました」
一体なにが言いたいのか。不気味に感じながらも、エミヤは謙虚に見えるように顔を伏せて答えた。
伏せていても、エミヤの答えにひくりとアナンベル嬢の機嫌が傾くのがわかる。ざまあみろ。
「ふ、ふん……。まあいいわ。今はもうお前は用なしの寵姫だもの」
なんの悪あがきだ。
エミヤは呆れ果てて、もう一度礼をしてその場を去ろうとした。
「お前、アルマド様がどうして執務室の寝室ばかりを利用するようになったか、知らないでしょう」
アナンベル嬢ではない令嬢が口を出してくる。それがフィア嬢なのかシアスタシア嬢なのか、エミヤにはわからない。
三人の貴族令嬢ににやにやと見つめられ、エミヤは嫌な気持ちで答える。
「……ご令嬢方が押し掛けたせいで片付かない仕事を、遅くまでされているからではないのですか」
渾身の嫌みのつもりだったが、三人は弾けるように笑いだした。
魔女のような笑い声が回廊に響く。
「残念ね、はずれよ。それともお前はそう聞かされているのかもしれないけれど」
アナンベル嬢がさもおかしいとニヤニヤしながらエミヤを見下した。
「アルマド様は、毎夜毎夜ご自分で選ばれた令嬢と夜を共にしているの。明日の夜、やっと私の番が回ってくる。お前は捨てられたのよ」
頭が真っ白になったのは一瞬だった。
伏せていた顔を上げて、エミヤはアナンベル嬢の顔を見る。

「――あまり、我が王を侮辱するのはやめたほうがいい」
自分でも低くおどろおどろしい声だと思った。
怒りのあまり、敬語もどこかへ飛んで行ってしまった。
眼の据わったエミヤに睨みつけられ、三人は思わずたじろぐ。
アナンベル嬢の言葉になど、エミヤを引き裂く力はない。
「鎧の王、醜い顔と、さんざ王を軽んじてきた貴方達のような令嬢を、我が王が選ぶことは決してない。王の素顔が美しかったからと掌を返すような軽薄な娘を、王が愛でることはない。貴方のそれが事実だろうと虚言だろうと関係ない。例え選ばれた令嬢がいたとしても、我がアシドニアの王は、貴方達を選ぶほど阿呆じゃない」
言い切って、エミヤは礼もせず踵を返した。
腹が立って怒りで視界が真っ赤だ。
エミヤを貶めるために、あんな嘘を吐いた彼女達が許せなかった。
そして、彼女の言葉に一瞬でも動揺した自分が許せなかった。
いつの間にか駆け足になって、エミヤは温室へと駆け込んでいた。
息が荒い。泣きながら走ったせいだ。
(アル、どういうことなの)
温室の、土臭いカーテンに顔を押し付けて、エミヤは声を殺して泣いた。
アナンベル嬢の言葉が、もし真実なら?
帰ってこようと思えば帰ってこれるはずなのに、帰ってこないアルマドへの、見ない振りをしていた猜疑心が顔を出す。
本当は、エン技師にどれだけ理由を並べられても、納得なんかできなかった。
エミヤにとって、アルマドの言葉じゃないと意味がない。
アルマドが、エミヤの目を見て話すことが、何より大切だった。
あのアルマドが、そんなことをするはずがないと思うのに。
(わからないよ……、アルマド)
信じているのに。
それでも、何故?と思う心を止められない。
アナンベル嬢達への怒りが過ぎると、途端に頭が混乱してくる。
(やっぱり、貴族の令嬢と結ばれたほうが〝王様〟にとっていいから? 大臣に説得されたの? それとも、可愛くて優しい貴族の女の子と出会った?私なんかより、その子のほうが相応しいと思ったの?)
非生産的な妄想を頭の中で吐いては捨て吐いては捨て、一人勝手に不安になって自滅に向かっているようだった。
カーテンに蹲ったくしゃくしゃの顔で、エミヤはやがて温室の外に飛び出す。
(こんなふうに泣いてたって駄目だ。わからないなら、アルマドに直接聞こう)
そこでアルマドが違う人を選んだと聞いたとしても、今よりずっとましだ。
自分への劣等感と、貴族令嬢への羨望と、アルマドへの想いでぐちゃぐちゃになり、アルマドを信用できなくなりかけている今よりは、ずっと。