「アルマド」
エミヤはベッド脇に移動させていたソファに座った。
こちらを見たアルマドの水色の瞳をしっかりと見据えて、投げ出されていたその手を取る。
「君が今こうして生きていることが、私にとってどれだけ嬉しいことかわかるかな」
アルマドも、まっすぐにエミヤを見つめた。
エミヤの心を、余すことなく受け取ろうというように。

こうして、面と向かって表情を曝しあえることが出来る日がくるとは、思ってもみなかった。
だから、今だけは絶対に、目をそらしてなんかやらない。
そらすのは許さない。
「エン技師から、君が毒に倒れたって聞いた時、生きた心地がしなかった。混乱して、必死に君が助かる方法を探して、ろくな知識もないのに、君を助けたい一心で看病した。このままアルマドが目覚めなかったら――考えただけで、私の心臓も凍りついて死んでしまいそうだった」
アルマドが目覚めるまでのここ数日、アルマドの手が暖かいことを、エミヤがどれだけ望んでいたか――。
「私、アルマドが好きだよ」
アルマドの眠る顔を見ながら、ずっと考えていた。
何度拒まれたっていい。本気にされなくても、この気持ちを伝えようと。
「私のこの気持ちを、アルマドが信じてくれなくてもいい。アルマドが生きいてくれるなら、それだけで嬉しいから」
きっと、エミヤはアルマドの傍にはいれないだろう。
こんなことがあった後だ。アルマドはエミヤの危険を考えて、距離を取るために家へと帰すだろう。きっと要らないと言っても、護衛やらなんやらをつけると言って。
(離れるのはつらい。こうして、鎧のない君のことを、もっと知りたい)
けれど。
どれだけ離れていても、アルマドが生きていてくれたらいいのだ。
アルマドが、この城で、あの温室で、生きていてくれたら――。


「アルマドが好き」
気付けばほとほとと涙が落ちて、顔を上げていられなくなっていた。
握るアルマドの手に額を押し当て、まるで祈るように、泣く。
結ばれたいだなんて思わない。
ただ、届いてほしかった。
あの時のように聞き流され、なかったようにされるのだけは、いやだ。
「エミヤ」
呼ばれたのに、顔がうまく上げられない。
どんな顔をしてアルマドを見たらいいのか、エミヤにはわからなかった。
「エミヤ、僕はいつも、君を泣かせてばかりだ」
握っていたアルマドの手が解かれて、俯くエミヤの頬に添えられた。
鎧越しではない、暖かな、柔らかな感触。
「……あたたかいね」
感動したような声が、アルマドから漏れる。
初めて聞く声だった。
今にも泣きそうな、今にも崩れそうな、弱弱しくて、柔らかな声。
顔を見たい――どんな顔でそんな言葉を口にしたのか、その誘惑に勝てなくて、エミヤはそっと顔を上げた。
「……泣いてるの」
まるで小さな子供のような顔のアルマドが、そこにいた。
涙を流しているわけではないのに、泣いているように見える。
「君があたたかくて……」
エミヤがそっと伸ばした手に、アルマドが頬を寄せた。
エミヤの手に触れる寸前、一瞬の躊躇の後、アルマドはそっと、エミヤに触れる。
「やわらかい……」
また、泣きそうな顔だ。
エミヤはそこでやっと気が付いた。
鎧を着込んでからずっと――アルマドはこんな風に、人と触れ合ってこなかったのだと。
エミヤが、鎧の指を冷たいと感じていたように、アルマドにも、エミヤの熱は伝わっていなかったのだ。
(そうだ、私達は今、やっと、本当に触れ合っている)
思うと、エミヤまで泣けてきてしまった。
ここ連日泣きすぎて干からびそうだったのに、まだ涙は残っていたらしい。
「アルマドもあったかい。……あったかくて、よかった」
目の前の男の人を、エミヤは初めて見た。
エミヤの中のアルマドは、鎧を着たあのアルマドだ。
こんな美しい造形の男の人は、初めて見たはずなのに。
(アルマドだ……)
この指から体温が抜けていく想像を、何度しただろう。
何度、アルマドの瞳が開かない最悪の夢を見ただろう。
アルマドが、生きている。
エミヤの胸はいっぱいになっていた。
何で膨れたかわからない。なんて言葉にしたらいいのかもわからないのに、エミヤの体は、幸福で穏やかで、素晴らしいもので満たされていた。
その幸せななにかに突き動かされて、アルマドにそっと近づく。
アルマドの瞳を、今度はまっすぐに見つめた。
何故か、今のアルマドはエミヤから決して目を逸らさないと、知っていた。
鼻と鼻がくっつくころ、二人で頬を包みあい、泣き笑いした。
そのまま吐息を吐き出して、それが二人の間で混ざる。
あ、と思ったころには、口付けていた。
アルマドのかさかさした唇は意外と柔らかくて、汗の匂いがする。
鎧の時には知ることのできなかった、アルマドの匂いだ。
アルマドの大きな手が、エミヤが初めて知る掌が、エミヤの頬をぐっと上向かせた。
その拍子に離れた距離が、もどかしい。
「エミヤ」
もどかしくて、つい、動物のように顔を寄せて、鼻と鼻で口付けた。
「ふふ」
アルマドがくすぐったそうに笑う。
それが嬉しくて、エミヤは泣きながら笑った。
泣くほど、うれしかった。
「鎧のアルマドも大好きだけど、こんなふうに笑った顔を見られるなら、こっちも大好き」
エミヤは浮かれたままそう口にして、アルマドを赤面させた。
「……エミヤは、どちらでもいいの?」
「いいよ。アルマドの体と顔は、アルマドのものだもん。好きなほうで生きてよ」
想いが通じた寛容さで、エミヤはそう答えた。
実際にそう思っていた。毒を受けて死ぬところだった彼が、生き延びることができたのだ。
鎧であっても生身であっても、アルマドが生きているならそれでいい。
アルマドはエミヤの手を握りながら、そっと視線を下に向けた。
「……僕は、幼いころから己を守るためにずっと銀の殻を被ってきた。けれどそれは、立ち向かうべきものから逃げているのと同じことだと、エミヤに教えられた。君は私が逃げても、負けずにまた立ち向かってきてくれた。君がそう言うのなら、僕は」
つよくなりたい。
小さな、弱弱しい声で、アルマドはそう言った。
けれどエミヤの手を握る手には力が込められ、アルマドの決意を伝えてくる。
「アルがアルなら、なんだっていい」
その決意が、アルマドにとってどれほどのものなのか、エミヤには計り知れない。
だから、エミヤはエミヤで、思うがままを伝えたのだが、アルマドは目を丸くして驚いたようだった。
「またそう呼んでくれるんだね……」
言われて気付く。
そういえば、最近は〝アル〟ではなく、アルマドと呼ぶようになっていた。
「〝アル〟がいい?」
尋ねると、アルマドはくすぐったそうに頷いた。
薪が弾ける音がする。
お互いの手を握り合ったまま、二人はしばし、じっと見つめあっていた。
エミヤは見慣れない美しいアルマドの顔を、アルマドは、何に阻まれることなく見ることができるエミヤの顔を。
やがて、アルマドがそっと囁いた
「僕に、こんなことを言う資格はないかもしれないけど……」
「言ってよ。私は、それが欲しいんだよ」
「エミヤ、どうか僕の傍にいてくれ。君を愛している――」