『〝万能の種〟が効能を発揮するのは、すり潰し湯で煎じたものが一番効いた。そのあとは生姜を与え体温を上げ、代謝を上げることがよい。ただし、場合によっては効きが悪いときもあり、それが病原菌や毒の種類によるものなのか、患者の体質によるものなのかははっきりしない……』
エミヤは、この通りのことを行った。
乾燥させる時間がなかったので、そのまま煎じた。
下手に方法を変えて、〝万能の種〟の効能を殺してしまっては意味がないと思ったからだ。
温室から持ち出した、〝万能の種〟を、アルマドが眠る部屋で煎じ、湯で溶いたものをアルマドに飲ませた。酷くまずい味だったが、毒見も兼ねて自分が口に含み、アルマドに口移した。
触れたアルマドの唇はかさかさで、血の気がなく、熱は高いのに、冷たかった。
(まるで死人のよう……)
アルマドの素顔を、エミヤはこの時になって初めて見た。
短く刈られた金色の髪に、伏せられた睫毛は長く、血色を失って尚、その美しさは失われない。
鼻は高く、そこから下は、温室で見た通りの、端正で、笑みを浮かべずとも穏やかな口許だった。
ひどく美しい人が、そこにいた。
噂にある、醜い傷や火傷など、どこにもなかった。
それでも、ずっと鎧の下にそれを隠してきたのだ。
アルマドは、ずっと怯えていた。
(起きて、アルマド。起きてよ……。折角貴方の顔を見れたのに。その瞳の色を、私に教えて)
泣くな、泣くな、と自分に言い聞かせながら、次の作業に没頭する。
温室を探したが、生姜は置いていなかった。慌てて厨房に飛び込み、料理人にお願いして生姜を分けてもらう。エミヤのぼろぼろの顔と気迫になにかを察したのか、ほかにも滋養強壮効果のあるといういくつかの食材を、わざわざ調理しやすいように切り分けてくれた。
(アルマド、アルマド)
それらを少量の湯に放り込み、飲みやすいようにはちみつを垂らす。これも、厨房が譲ってくれたものだ。
エン技師とゴーストは、エミヤの動向をじっと見守ってくれていた。
二人とも手伝えることは手伝ってくれたが、一通り終わり、尽くす手がもうないと知ると、エミヤとアルマドを二人きりにしてくれた。
城の医者は、何故かこんなときに限って、遠い地へ往診に行っているという。

今いるのは、いつもの部屋とは違う。全てが暗い色調でまとめられた部屋だ。
分厚い黒のカーテンには、金の刺繍が小さく施されている。閉じれば、部屋は一切の光を通さないだろう。
ここは、穢れの間なのだという。王族が病に倒れた時、この部屋で穢れを追い払うのだと。
そして、死期が近い者も、ここで看取られるのだという。
アルマドは、幼い頃からここの常連だったのだと、ゴーストから聞いた。
「だめだよ、アルマド。まだ早い。まだ早いよ」
泣いても泣いても、涙は枯れなかった。
ベッドの横に座り込んで、汗を拭い、煎じた生姜湯を少しずつ飲ませ、手を握り続ける。
暖炉の薪をかえ、部屋を暖かく保つ。
こんなことしか、エミヤにはできなかった。
横になるアルマドの息が、少しずつ荒くなってきた。
今夜が峠なのだと――、素人のエミヤにもわかることだ。
「アルマド、起きて。ごめんね、もう困らせたりしない、もう、迷惑かけたりしないから……」
離れ離れでいい。この先一生、アルマドの顔を見ることが叶わなくていい。
「だから」
どうか、命だけは――。

「エミヤ殿」
うとうとして今にも椅子から転げ落ちそうなエミヤに、聞き覚えのない声がかけられた。
霞む目をこすって辺りを見回すが、薄暗い部屋にその姿は見えない。
「誰……?」
「我々は根。差し出がましい真似をしてもよろしいでしょうか」
どこからともなく声が聞こえてくる。
男のようだが、女の声のようにも聞こえる。歳もわからない。若いようで、老いているよにも聞こえた。
〝根〟――、アルマドを守ってくれている者達の名だ。
「私にだめなんて言う権利ないよ」
エミヤは、泣き笑いでそう答えた。
そんなエミヤに、〝根〟はほんの少しだけ、笑みを返したようだった。
「主は、貴方を守ろうと必死でした。幼いあの頃から、ずっとです」
姿がどこにも見えないので、まるでこの部屋がエミヤに語り掛けているような錯覚に陥った。
「だからこそ、己に忍び寄る魔の手が、いつ貴方にも伸びるかと怯えていました。だからこそ、そうなる前にサロバトフ家に命じ、貴女の登城を禁じたのです。貴方は、我が主の唯一の、友人でした」
エミヤの視界はとうの昔に壊れて、涙でなにも見えなくなっていた。
「貴女という存在があったからこそ、離れていても主は人間でいることができた」
ぼろぼろの視界の中で、ゆっくりと影が動くのが見えた。
姿は見えないのに、影だけは見える。
それも、その影は一人ではなかった。何人だろう。
蝋燭の灯りにゆらゆらと揺れるそれは、幾人にも見える。
そのたくさんの影が、ゆっくりとエミヤに向かって頭を垂れた。
「貴方と王の〝万能の種〟を疑うわけではありませんが、どうか、我々に古くから伝わる薬を王にお渡ししてもよろしいでしょうか。我が主を生かすため、このアシドニアの王を守るために、良かれと思うことは、全てやっておきたいのです」
エミヤは、考える間もなく頷いていた。
良かれと思うことは、どんなものでもしてあげたい――。
エミヤも、全く同じことを考えていたからだ。
〝根〟の、真っ黒な手がアルマドの口許に伸び、小さな丸薬を含ませた。
エミヤは慌てて水を注ぎ、そっとアルマドの頭を起こしてそれを飲み込ませる。
こくりと喉が上下したのを確認して、エミヤと〝根〟は、ほっと息を吐いた。
「貴女が鉄の王のために城中を駆け回ったこと、この先もずっと、語り継がれることでしょう」
〝根〟は、それだけを残して、全員消えてしまった。
しん……と再び静まった部屋で、まるで夢でも見ていたかのような気分になったが、次にエミヤを襲ったのは強烈な眠気だった。
あっという間に目も開けていられなくなり、アルマドの鎧ではない手をしっかりと握って、エミヤは意識を手放した。


――夢の中でもずっと泣いていた。
なんの力にもなれない自分が情けなく、“万能の種”の処方がどれだけ正しかったか知れ
ない。もしかしたら誤りだらけで、毒に冒されたアルマドの体の負担になってしまったかしれない。
〝根〟を疑うわけではないが、あの薬と〝万能の種〟との相性も、今更ながら気になってきた。単体では無毒のものも、合わさると途端に毒となってしまうものもあるのだ。けれど、それは逆もしかりだ。相乗効果で効能が効くことだってある。
どれだけ考えても今は、祈るしかない――。
家庭菜園でちまちま薬草を育てていただけの女が、どれだけの役に立つというのだろう。
それでも、アルマドが助かるなら何も要らないと思えるくらいには、エミヤは必死だった。
アルマドの体の毒を自分に移せるのなら、喜んで死ぬ。
幼い頃、アルマドはエミヤを危険から遠ざけるために遠ざけた。
エミヤのために、孤独を選んだのだ。
それの恩返しだなんて言わない。
そんなことしても、アルマドは喜ばない。
けれど、エミヤもアルマドが生きていてくれるなら、なんだってよかった。
これは偽善でも自己犠牲でもない。
エミヤのエゴだ。
アルマドさえ生きていてくれたなら、エミヤはなにを犠牲にしてもよかった。
(犠牲にできるようなものなんて、何ひとつもってないくせに)
この身一つ捧げてアルマドが助かるなら、なんだってするというのに、その方法すらない。
祈ることしか、エミヤにも他の者にも、残されていなかった。
「アルマド……、」
どうか、生きて。