高校生になってから二度目の六月。梅雨時期であることから雨が降ることを願うもむなしく、体育祭というイベントはどうにも晴れてしまうようだった。
 せめてもの日光浴が苦にならない程度の曇りであればいいと思うのだが、残念ながら当日は雲一つない晴天。これでは日光浴どころか岩盤浴ほどに汗をかいてしまいそうだと佳乃は憂鬱な気分になっていた。

 一つでも種目にでれば参加したとみなされるため、佳乃が選んだ種目はパン食い競走だったが、これは午前の早々に終わってしまった。
 何事もなく走り出し、ぶら下がったパンを口で咥え、ゴールラインを踏み越えた時には安定のビリである。運動が得意ではない佳乃にとって順位とは最下位が定位置なのだ、今回の順位も慣れているし恥ずかしく思うこともない。
 ただ悔やむことがあるとすればパンがよくなかった。最下位を走る佳乃に残されていたのは当たりのクリームパンではなく外れのあんパンで、これだけが不満だった。

 こうして体育祭の参加種目は終えて、あとは日光を浴びるだけである。グラウンドの端は紅組と白組で区分けされ、さらにクラス別に分けられている。佳乃は二年A組の紅組用観客席に腰かけながら、日光浴に勤しんでいた。

「今年は紅組勝ちそうだね」

 隣に座っているのは佳乃と同じく紅組のハチマキをつけた菜乃花だった。暇な日光浴の時間も話せる子がいるのだから、つくづく仲のいい子が同じ組でよかったと思ってしまう。

「まだ午前の部だからわからないよ。私はどっちが勝っても構わないけど」
「確かにね。勝ったチームにもらえるのはお菓子セット、だっけ」
「いらないなぁ……私、あんパン食べたし」
「今年も迫力あったよ、佳乃ちゃんのかぶりつき」
「だってそれしか楽しみないもん」

 紅組の席は騒がしく、皆が種目に参加している生徒を応援しているようだった。最後尾でだらけて座る佳乃は応援する気もなく、ただ時間を持て余しているだけである。たいした景品でもないというのによく応援なんてできるものだと思ってしまうのだが、これは佳乃が運動嫌いのため体育祭に苦手意識があるからだろう。

「この種目が終わったらお昼休憩、それから午後の部だね。もう少しの辛抱だよ」
「長い……帰りたい……」

「あっれー? パン食い最下位女王の佳乃ちゃんじゃなーい?」

 そこへ声をかけてきたのは、浮島紫音だった。
 白いハチマキをつけた三年生の彼はここよりも遠い場所が自席となっているはずである。わざわざ佳乃をからかいにやってきたのだろう。
 俯きかけた佳乃は浮島の顔を見て、さらに表情を暗くした。なんたってこんな、憂鬱な時に問題ばかり持ち込んでくる先輩まで来なければならないのか。日光浴の疲労が倍以上に膨れ上がった気がする。

「いやぁ。見ごたえがあったね。パン食い競走。ばっちり録画しちゃった」
「相変わらずの変態録画っぷりですね……」

 うんざり言い返す佳乃と逆に浮島は楽しそうである。ちょうど空席となっていた佳乃の隣に座り、午前の部最終種目である障害物競走が行われているグラウンド中央に目を向けた。
 そしてグラウンドを指さし、佳乃に言う。

「あ、ほら、伊達くん出てるよ」
「え、ええっ!? ど、どこですか!」

 はっとして顔をあげ浮島の指が示す先を見やる――のだが、そこにいるのは伊達ではない男子生徒である。

「はい、うそでーす。ほんっと面白いね、佳乃ちゃん」

 佳乃の反応は浮島の予想を超えていた。ケタケタと笑い声をあげながら、悪魔は顔をゆがめて笑う。

「……だまされた」
「伊達くんが参加する種目を覚えておかない佳乃ちゃんが悪いんだよ」
「こればかりは私も浮島先輩に賛成かしら」
「菜乃花まで……」

 菜乃花が浮島側についたことで味方がいなくなり、佳乃は肩を落とす。まったくロクなことのない体育祭だ。

 借り物競走も終盤に近付き、男子の最終レースが始まる。スタートラインに並んだ生徒の中に、見知った顔がいた。

「あれ。また剣淵くんが走るんだ」

 菜乃花がそう呟いた。紅組のハチマキをつけた剣淵がやる気なさそうにしながらスタートラインに立っている。

「ほとんどの種目に出てるんじゃない? オレは絶対無理ー」
「でも綱引きは出ていなかったと思います。剣淵くん、疲れた顔して席に座っていましたから」

 会話を聞きながら、佳乃の視線は剣淵を追う。

 この体育祭を楽しんでいないのが佳乃だとしたら剣淵は逆である。紅組勝利のためにと頼まれて様々な種目に出場することになっていた。体育祭を楽しんでいるようで何よりだ。

 スタートの合図と共に剣淵が走り出し、佳乃なら足をひっかけて転んでしまいそうなハードルもやすやすと飛び越えて、他の生徒を置き去りにして先頭を走っていく。

「もったいないよなぁ」

 自然と、佳乃は呟いていた。
 剣淵は走ることが好きなのだろう。やる気なさそうだった顔は真剣なものに変わっていて、まるでこの瞬間を楽しんでいるようだった。それほど走っている姿が似合うのに、合宿の時に剣淵が語っていたものが頭から離れない。

 部活にかける時間が惜しくなるほど、確かめたいものとは何だろうか。剣淵が後悔して引きずるほどのものなのだ、少しだけ好奇心が疼いてしまう。

「あーあ。結局剣淵くんが一位か、つまんないの」

 走り終えたところで浮島が落胆の息をついた。

「カッコイイことばっかりしやがって。今日だけで剣淵ファン増えそうだなぁ。悔しいから前歯動画バラまいてやりたい。剣淵おもしろ動画拡散希望ーって」
「浮島先輩! だめですよ!」
「もー、佳乃ちゃんはオレに厳しいよねぇ」

 浮島の言う通り、剣淵の活躍っぷりは的確に女子生徒を射止めている。佳乃の周辺から「あの人すごい」だの「かっこいい」だの聞こえてくるのだ。白組の席でも同様に騒いでいることだろう。

 かっこいい、だろうか。と改めて剣淵を見てみるが、やはり佳乃の好みとは外れている。伊達のように甘い顔つきの方がかっこいいという言葉にふさわしい気がしてしまう。

「剣淵くんといえば……午後の部は面白そうよね」

 体育祭プログラムを開いた菜乃花が、午後の部のとある種目を指さして言った。それは昼休憩の後すぐに行われる二人三脚である。

 二人三脚は同性ペアでも異性ペアでも構わないが、組む者は同じ紅組もしくは白組でなければならない。この性別問わずのルールが人気を呼び、参加する生徒の大半は仲良しっぷりを見せつけたいカップルやその一歩手前の人たち。あとは同性の友達で参加するか、優勝に燃える体育会系ペアぐらいなのだ。見ていて面白い競技ではないのだが、菜乃花はニヤニヤと口元を緩ませて「知らないの?」と佳乃を煽る。

「今年はね……なんと、剣淵くんが出るんだよ」

 もったいぶって言うから何事かと思えば、また剣淵が出場するという話である。肩透かしを食らった気分で呆れ気味に答えた。

「剣淵、何でも出場するんだね……」

 午前ラストの種目に出たと思えば、午後の部最初の種目にも出場である。ここまでくると剣淵が少し可哀相になってくる。

 そういえば女子たちから二人三脚の申し込みをされていたところを見たかもしれない。どんな返答をしたのかはわからないが、女子と並んで走ったところで騒ぐこともない。これが剣淵でなく伊達なら、女子とペアを組んでいる姿に動揺してしまうかもしれないが。
 菜乃花はまだ喋りたそうにしていたが、それを打ち切るように佳乃が呟く。

「……お腹減った、お昼休みこないかな」

 じりじりと照り付ける太陽の光に呼び出された汗を拭いながら呟くと、浮島が「パン食べたのにまだ食べるの?」と笑った。