「胡桃には伊織くんがいるからぁ。伊織くんがいてくれたらもう、何もいらないもん!」
「はいはい。だけどそうマナーは大事なことだよ。ほら、行っておいで」
「……もうやだ」

 諭すように言葉を返した伊織へと胡桃は無表情になって告げた。普段はヘラヘラと笑っているからわからなかった。無表情はこんなものなのか。
そんなことを考えながら小さく溜息を吐いた伊織。

「学校とか面倒くさいよぉ。帰るついでに寄り道デートしたいなぁ」
「わかるわかる。じゃあ少し勉強してから帰ろうな! ちゃーんとデートしてあげるから」
「やだやだ! 今、今がいいの! 勉強なんてするより胡桃と一緒の方がいいのに……」
「はいはい、そうですねー。ほら、テストも近いよ? 勉強一緒に頑張って赤点回避しよ。そしたら何処にでもお供するから」

 今すぐ出かけたい胡桃。学校で少し勉強をしてから帰りたい伊織。
最初こそはそれなりの対応を見せていた伊織だったが、徐々に相手をすることが面倒くさくなって、疲れてきたらしい。
最後には全てを「うん」「そうだね」などの相槌で会話を進めていた。それが彼女にとっては気に食わなかったようだ。
プクッと柔らかい頬を膨らませながら駄々をこねる胡桃が放った言葉は、それまで話し声が聞こえていた教室内を静まり返らせた。

「伊織くんってつまんない! もう別れちゃおうかなぁ?」

 胡桃の心情としては伊織に引き止めてもらって、自分に興味を惹きつけたい。二人で出かけたい。それだけだった。
しかし目を見開いた伊織は引き止めもせずに動くこともない。何も言葉を発さず、ただただ胡桃のことを睨みつけていた。
彼の違和感に気づいた胡桃はしばらく俯いていたが、ムスっとした表情を浮かべながら「何で止めないの」と睨み返した。
教室内の視線はもう二人の険悪な空気に侵食されていた。帰ろうにも足音一つ立てるのでさえ悪いように思えた。