そんなことってある!?

びっくりして目を丸くしていたら、運転している彼がハンドルを握って前を向いたまま微笑む。

「石森さんは、下の名前でいいのかな」

「あっ、うん」

「柑奈」

「……はい」

思ってた以上に、下の名前で呼ばれるとドキドキの度合いがかなり強くて焦った。

「じゃあ私は、……旭くん?」

口にしてから猛烈に恥ずかしさが込み上げるけれど、彼はとてもあっさりとうなずく。
「うん、それでいいよ」と。


名前で呼び合うだけでも、こんなに違うのかと一人で赤くなってしまった。

恋のはじまりは、いつだって新鮮だ。
この新鮮さは盲目で、それでいて心の真ん中にふわっとしたあたたかい火を灯す。


浸っていたせいで会社を通りすぎてしまったことに気がつき、慌てて彼に伝えて車を停めてもらった。

「ごめん、なんかバタバタしちゃって」

急いでシートベルトを外して降りようとしたら、待って、と呼び止められた。


彼の右手が伸びて、私の右手に重ねられる。
でこぼこしたマメの感触が、手のひら越しに伝わる。
きつくもなく緩くもなくちょうどいい加減で握られた私の手に、沈黙に包まれた想いが流れ込んできた。

…名残惜しい、でも行かなくちゃ。

短い時間でするりとその手は離された。

「じゃあ、またね」

先にそう言ったのは彼だった。


車を降りて、走り去るのを見送ってから通りすぎた会社へ向かって歩きだそうとしたら、後ろから場違いに元気な明るい声が聞こえた。

「みーたーわーよー!」

「きゃあ!あ!沙夜さん!!」

私の肩に手を乗せた沙夜さんは、とても嬉しそうににこにこと笑って顔をのぞき込んでくる。

「おやまあ。藤澤くんといつの間に進展したの?」

「そんなことより、私も沙夜さんに言いたいことがありますよ!」

「柑奈ちゃんの方が先でしょーよー」

茶化すように背中をぐいぐいと押してくるあたり、朝から彼女のペースに巻き込まれつつあって抵抗できない。

結局、こうして沙夜さんに半ば強制的に馴れ初めみたいなものを吐かされて、それを淡口さんや翔くんも成り行き上聞かされることになって、思った以上に筒抜けになるのだ。


……それは、旭くんには内緒にしておこう。