私は生きてきた。

僕は生きていた。





「ひばり」

もう声にもなっていない。
まるで暗号のようなそれでも、雲雀はわかってくれる。

「橘」

歯すら何本か抜け落ちた唇に、そっと口づけが落ちてくる。
雲雀の笑みが、優しい。

(大好き……)

私はイブだけど、出来損ないのアダムだけど。
アダムであろうと望んだことなんか、一度もなかったけど。

「うん」

こうして、言葉をなくして、雲雀にこの想いを伝えられる術をもっていることに初めて、アダムでよかった、なんて。

(雲雀)

「うん」

何度も何度も、血みどろの口付けが落とされて、私はもう、痛みなんてどこにも感じなくなっていた。

ああ、雲雀の顔が、光が、遠くなっていく。


「……僕の時は、君が必ず迎えに来てね」

うん。絶対に行く。
私が、雲雀を殺しに行くからね。

「君のすべては、僕がもらう」

もう一度、キスが落ちる。まるで咀嚼するような、キス。

「愛してるよ、橘」

最後のキス。
もうこれ以上ないってくらいしてきたのに、もっとしたいって、死ぬ間際でも欲が尽きない。
ああ、死にたくないな。
もっと雲雀と、もっと子供達と、もっともっともっと。


ゴポッ。

口付けられた唇から、血が噴き出る。
それを見た雲雀の瞳が、傷付いた。

(ああでも、もう、終わりにしないとね)

ずるずると生きて、雲雀を傷つけ続けたくはない。

(だから最後は、貴方の手で)

思えば、応えるように指に力が込められた。
苦しい、痛い。

けれど、こんなに幸せなことがあるだろうか。



「ひば、り」

涙が、あとからあとから流れて、止めることができない。


「ひばり」


あいしてる。






私は幸せだった。

僕は幸せだった。

この世でただ一人、あなたに殺されたいと願える人に、出会えたのだから。












ヒカリのたっての希望で、倫子と雲雀の捜索はすぐに打ち切られた。
しかし、真鶸が二人の思い出の木で奇妙な遺体を発見する。

頭部のない、ボロボロの骨の遺体。
骨には足りない部分がいくつもあり、抜けた歯も近くに転がっていた。
まだ死んで間もないようだが、肉も内臓も全て綺麗になくなり、頭部だけがない。
その遺体は恐ろしかったが、まるで大木に抱かれるように眠っていたという。

その木は、あの二人が植えたものだと、皆が知っていた。
関わったすべての人間はその恐ろしい予感を確信へと変え、そのおぞましい骨は全ての者に悪夢を呼んだが、あの二人が二人でいられるならと、どこか狂信めいた想いを胸に、皆は悼んだ。

それから数日して雨が降りだした。
雨雲が雨雲を呼び、海を溢れさせ、土を汚泥に変えるーーまるで、すべてを飲み込み、浄化せんというように降り続け、やむことはなかった。

その雨は祈りだ。
嘆きの涙であり、禊だった。
その一粒一粒に、彼女への祈りがこめられている。

人知を越えた力で、星が生まれ変わろうとしている。

“彼女”を拒絶した星を救う。
“彼女”が、望むからーー。

雨が降りはじめて100日目。
奇しくも、倫子と雲雀の末っ子の誕生日だった。
正確な生まれた日がわからないため、二人であーだこーだと言い合って決めた、幸せの日だ。

降り止んだ雨のあとには、汚染のない海が、静かに揺れていたという。

この星を贈ると、言われてるみたいだな……末っ子を抱いたヒカリが、消えるような声で言った。

雲の隙間から光が差し込んでいる。
穏やかな海が、生きている。

ーー雲雀はついぞ、皆のもとに帰ることはなかった。




私は、生きてきた。
私は、幸せでした。

僕は、生きていた。
僕は、幸せでした。

私の、僕の、すべてといえる人を、見つけることができたのだから。


あなたがいとしい、だからその手で。

しめやかに、私を殺して。









「AEVE ENDING」ほんとのおわり。