晴れる日が減り、地面がいつでも湿った暗い色をするようになった十一月半ば。
緋咲は助手席に大槻を乗せて、イベント会場である隣の市のホテルへ向かっている。

「守口さん、すみません。お気遣いいただいて」

「いえいえ。ほんのついでですから! それより大槻先生、お身体はもうよろしいんですか?」

大槻は先週体調を崩して、教室も一週間ほど休んだ。
それでも声を立てて笑い、緋咲の心配を否定する。

「本当にただの風邪ですから。年を取ると治りにくくて困りますね。あ、あの信号を左です」

11月17日は“将棋の日”である。
江戸時代に将棋が囲碁とともに幕府公認となり、将軍御前で指す“御城将棋”が行われるようになった。
八代将軍吉宗によって、御城将棋は毎年旧暦の11月17日とされ、それを由来として制定されたのが将棋の日である。

この前後の土日には様々な将棋イベントが企画されて、もちろんたくさんの棋士が各地で将棋の普及にあたっている。

「トッキーは何時頃家を出たんでしょうね?」

先週貴時と会ったとき、体調不良の大槻を心配しつつも、自分は付き添えないと言うので、緋咲が車を出すと名乗り出たのだ。

「市川君は昨日の前夜祭から参加してるはずなので、ホテルに宿泊してるんじゃないでしょうか?」

「そうなんですか? いいなー、トッキー。ホテルのモーニングで優雅な朝かー」

イベントは定期的なもの、不定期のものさまざまにあるが、今回は地元新聞社の創刊120周年記念とあわせて、貴時の地元でも大がかりなイベントが開かれることとなった。
人気プロ棋士や女流棋士が5名招待され、公開対局や指導対局、アマチュア将棋大会が行われることになっている。
地元出身棋士がいれば中心となってイベントに参加するのだろうが、今回もその役割は貴時が担っていた。

「大槻先生がいなくても、運営は大丈夫なんでしょうか?」

「今回は新聞社主催ですし、手は足りているようです。県支部からも若い人が出てますけど、年寄りはゆっくりイベントを楽しみますよ」

イベントはすでに始まっているが、緋咲と大槻の目的は午後に行われる公開対局だった。
プロ棋士同士の対局、アマチュア県代表と女流棋士の対局、そして貴時とプロ棋士の対局も組まれている。