赤ちゃんに対する一時の興味かと思われていたのに、緋咲はその後も貴時をかわいがった。
貴時が歩き始めたのは一歳二カ月。
夏の暑さは鳴りをひそめ、季節は秋へと差し掛かっていた。

「“ひさき”だよ。“ひ”・“さ”・“き”!」

泣く以外にうーうー話し出した貴時に、緋咲は名前を呼ばせようと、常にない地道な努力を続けていた。

「トッキー。“ひさき”って言ってよう」

貴時は大きな黒目を一度ぱちくりさせ、すぐそこにあったリモコンに手を伸ばす。
興味はベビーせんべいからリモコンや充電器に移っていた。

「“ひさき”はちょっと言いにくいかもね。“ひーちゃん”にしようか」

沙都子の提案を受けて、緋咲はもう一度貴時に向き合う。

「“ひーちゃん”! トッキー、言ってみて。“ひーちゃん”」

貴時はリモコンをかじることに忙しくて、うんともすんとも言わない。

「もういいや。トッキー、お散歩に行こう」

スパルタトレーニングを諦め、緋咲は貴時からリモコンを取り上げる。