「あ、そういえば、今七連勝中だよね。おめでとう」

今期の三段リーグは四月の下旬に開幕し、五月に入ってすぐ二回目の例会があった。
貴時はどちらも二連勝し、現在4勝0敗。
前期から合わせて七連勝中だった。

「ありがとう。でも三段になると連勝は関係ないからね。必要なのは今期どのくらい勝ち星を挙げたかだけ」

去年『一期で抜けたい』と言っていたときと違って、力が入りすぎず抜けすぎず、冷静な声だった。

「落ち着いてるなあ」

「将棋はメンタル勝負だから」

将棋というのはもちろん研究や経験、才能などの勝負ではあるのだけど、読む力には相当メンタルが影響する。
苦手意識がある相手だと、恐怖や焦りから余計な不安を抱えて手が縮こまってしまったり、逆に勝てている相手だと思い切りよく指せて、形勢が悪くとも最後まで諦めずに粘れる。
それが勝敗に直結していくのだ。
奨励会では年齢制限が近く焦りを感じている人は負けやすく、若い人は伸び伸びと指せて勝ちやすい、とも言われるほどだ。

「AIみたいに安定して、怖がらず焦らず、常に最善手を探せたらいいんだけど」

「あ、ダメダメ、そういうの。そんなロボットみたいな人ってさ、恋に落ちたらエラー起こしてメチャクチャになるのがオチじゃない? 人間なら迷って悩んで苦しんで恋もして、そうやって強くならないと本物じゃないよ」

貴時は身体を震わせ、身をよじって爆笑する。

「あははは! ひーちゃんらしいなあ」

ひとしきり笑うと、またひとつコーヒーシュガーの欠片を口に含み、コーヒーを飲んだ。
笑いを収めた貴時は笑顔のまま、少し切なげな目を緋咲に向ける。

「そうだよね。そもそも俺の将棋って、この心と一緒に育ててきたものだから」

かつてクリクリと透き通っていた目は、複雑な色を湛えて言葉以上の何かを物語る。

「ひーちゃんは、メンタルの鍛練ばっかり積んでるからなあ」

「……なによそれ。今は仕事一筋で頑張ってるよ」

貴時は一瞬驚いたように目を大きくして、それからふわっとそれを緩めた。

「そっか。だったらずーっとお仕事頑張っててよ」

うなずけばいいのか、反論すればいいのか、緋咲はわからずにキャラメルラテを飲んだ。
貴時との時間は慣れたものだし楽しいのに、表現しがたい居心地の悪さを持て余す。
するとタイミングよく、ポケットで携帯が震えた。

『シチューのルーも買ってきて』

「牛乳もない。ルーもない。いったいどうやってシチュー作るつもりだったのよ。もうポトフでよくない?」

買い物のことなんて、今の今まですっかり忘れていた。

「トッキー、帰りにちょっとだけスーパーも付き合ってね」

母からのメッセージにどこかホッとして、緋咲は携帯をポケットにしまい直した。