「対局中って何考えてるの?」

ラーメンをすする隙間を利用して、緋咲は漠然とした質問を放った。

「え? それは将棋のことだよ」

「それはそうだけど! もっと具体的にさ。さっき大槻先生に少し教えてもらったけど、考えることたくさんあって、すっごく難しかった」

「ああ! 見てた見てた! いじめられたみたいだね。いいなあ。俺もひーちゃんに『負けました』って言われたい」

「絶対に嫌!」

あはは! と楽しそうに貴時は笑って、それから宙を見つめて考える。

「読んでるとき考えることだよね? うーん……そもそも序盤、中盤、終盤で違うんだけど」

「難しいことはわかんない」

「ひーちゃんは何が難しかったの?」

固いチャーシューを咀嚼する横顔を、貴時はおだやかな目で見つめる。

「駒の動きを考えて、取られないように、とか取られたら取り返せるように、とか考えるだけで時間かかっちゃって、どうしたら勝てるかまで頭回らない」

当然だが、緋咲の口にしたレベルのことなど、貴時は考えてもいない。
そんなことは脊髄反射でできることだからだ。
それでも貴時は笑ったりせずに、真剣に耳を傾けていた。
どんなに初歩的なことでも、緋咲が将棋に興味を示してくれただけで、それは価値のあることなのだ。

「クローゼットを開けて、服を決めることに似てる、かなあ?」

緋咲にわかるように、かんたんな例えを貴時はひねり出す。

「攻めるか守るか、攻めるならどう攻めるのか。方向性によって当然指し手は変わってくるし、それを候補手の中から選ぶんだよ。出掛ける先を決めたら、なんとなく『これがいいかな』って思うでしょ? でも鏡で当ててみたら、ちょっと違う。じゃあ、こっちは? ……って感じ」

「鏡の前で服を選んでる状態?」

「うん、多分。その『これがいいかな』ってひらめきがセンスだったり、知識だったり、経験だったりするのも近い気がする。一張羅しかなくて、しかもその服がとんでもなく気に入らないこともあるけどね」

「着て行ったら『かわいいね』って褒められたり、場違いで恥かいたり?」

「そうそう。変な組み合わせなのに着こなして来る人もいたりね」

「でもさ、トッキーって服で悩んだりしないよね」

くたくたのシャツの袖を、緋咲はキュッとつまんだ。
人前に出るというのに、気取りがなさすぎるほどにない。

「うん。手に当たったもの着る」

「全然将棋と違うじゃない!」

思い切り笑う貴時の顔を、緋咲は久しぶりに見た。
やっと等身大の貴時に会えたような気がして、緋咲も素直な笑顔を返す。