「これから指導対局ぶっ通しで三時間でしょ? 大丈夫?」

「将棋指すこと自体は問題ないよ。勝たなきゃいけないものじゃないから。だけど、複数の人の相手をするって、単純に大変だよね」

「指導対局だと負けてあげたりするんだ?」

「『緩める』っていうんだ。誘導して勝ち方を教えるのも指導のひとつだから。だけど中には本気でやってほしいって人もいて、そう言いながらボロ負けすると気分悪いだろうから、全力で指してるように見える絶妙な緩め方しないといけないんだよ。そっちの方が大変」

貴時ははっとして、

「ごめん。ちょっと気が緩んじゃった」

と恥ずかしそうに反対側を向いた。
対局が終わった直後のせいか、いつもより饒舌だ。

「いいよ、いいよ。トッキーが頑張ってるのわかって嬉しいから」

貴時の将棋が、昔と比べてどのくらい強くなったのか、緋咲にはわからない。
しかし、“緋咲のかわいい弟”とはもう違うのだと、感じざるを得なかった。
多種多様な人に合わせ、時には人のプライドを傷つけないように気遣うことは、ブラックコーヒーを飲めること以上に大人だ。

「ひーちゃんは、いつも闇雲に褒めるよね」

俯いてメガネを直す貴時ににっこり笑いかけると、肩から髪がさらりと落ちた。

「だって将棋なんかわかんないもん。だから、私はいつでも無条件で味方でいる」

意識して言ったわけではなかったけれど、それは言葉通り実践され、これまで多く貴時を支えてきた。
緋咲本人よりそのことを知っている貴時は、まばゆい夏の景色を前に、秋の夜空を思い出す。