「やっと恋人になれたのに、俺、すぐ捨てられるかも」

棋士の対局はだいたい月に1~2回程度。
そして勝つと増えて行く。
しかしそれ以外に対局の解説、イベント出演、指導など仕事はたくさんあって、対局に向けた研究の時間だって必要だ。
タイトルホルダーになると、さまざまな業界との付き合いも増えるし、取材も多くなる。だからと言って、負ける言い訳にはならないので、研究時間を確保するとスケジュールは過密になっていく。
貴時もこれからどんどん忙しくなるはずだし、そうならなければいけない。

「トッキーが将棋で忙しいなんて、わかってたことじゃない。そんなことで捨てたりしないよ」

「彼女にこんなこと言うのはおかしいんだけど、」

今まで飲み込んでいた言葉を、貴時はとうとう口にした。

「正直言って、ひーちゃんのことはあんまり信用してない」

「……それ、ひどくない?」

「過去の行いが悪すぎるからね」

貴時が知っている以上に不誠実な恋愛を繰り返してきた緋咲は黙るしかない。
だからこそ、貴時に向ける真っ直ぐな想いに七瀬などは驚きを隠さないのだけど、本人には伝わっていないらしい。

「だから、捨てられないように頑張るよ。といっても俺にできるのは将棋だけだから、いい棋譜、いい結果を残せるように努力する」

そこは……彼女を大切にするよ、と言うところではないかと緋咲は思う。
緋咲は別に貴時の将棋に惹かれたわけではないのだから。
けれど、「市川四段のファンです!」とSNSで公言する女性もいるし、かわいい女流棋士との共演も多い。
貴時と違って卑怯な恋愛を積み重ねた緋咲は、培われたズル賢さを発揮して、ここは将棋に集中してもらった方が得策だろうと計算した。

「そうだね。頑張って!」

純真を演じる笑顔に、貴時は真の笑顔を向ける。