まぶたの腫れは濡れタオルをあててひいたけれど、それでもひかない熱に浮かされて、緋咲は団地までやってきた。
ただ会いたい、それだけで。
打算もない代わりに相手の迷惑も考えない衝動に身をまかせ、市川家のチャイムを鳴らす。

『……はい』

イベントが終わって3時間。
インターフォンから聞こえた沙都子の声からは、やや疲れがうかがえた。

「こんばんは。緋咲です」

『あ、ちょっと待ってね』

パタパタという足音と、鍵を外すカチャンという音に続いてドアが開いた。

「こんばんは。緋咲ちゃん、今日はわざわざありがとう」

「いえ、お疲れのところ、急に来ちゃってごめんなさい」

とりあえずどうぞ、と室内に招かれて、緋咲もお邪魔します、と上がり込む。
明かりが灯されても尚ぼんやり暗い玄関の先で、襖の奥は今日もしずかだった。

「あれ? おばちゃんひとり?」

リビングには誰の姿もなく、テーブルにも今しがた沙都子が座っていたと思しきイス以外、人がいた形跡はない。

「旦那は後援会の服部さんたちと飲みに行ってて。私もこれからちょっと顔出してご挨拶だけしてくるつもり」

テーブルを軽く布巾で拭き清め、空っぽになった牛丼のパックをシンクに運ぶ。

「だから今日の夕食は手抜きしちゃった」

疲れた笑顔を浮かべる沙都子の手元には、手付かずの牛丼がひとつ置かれていた。