日頃の行いがいいとは言えない緋咲だが、三月最後の土曜日はよく晴れた。
引っ越し業者には見えないほど小さなトラックが、最初に団地の前を出発する。
ずいぶん春めいてきているものの、日陰にはところどころ雪が解け残っていて、踏みつけるたびトラックがガックンと揺れた。

「緋咲、私たちも行ってるね」

紀子が車に乗って、守口家のシルバーのワゴン車もトラックの後に続いた。
緋咲ひとりが団地の中に歩いて戻る。
その一連の様子を、貴時はカーテンの隙間からずっと見ていた。

ピンポーン。
まもなく、市川家のチャイムが鳴り、洗濯中だった沙都子はそのまま玄関ドアを開ける。

「こんにちはー」

「あらあら、緋咲ちゃん。これから出発?」

「はい。最後にご挨拶って思って。お祝いたくさんいただいちゃって、ありがとうございました。これ、よかったら」

高校の近くにあるパティスリーの洋梨ロールケーキが沙都子の手に渡った。

「こちらこそ気を使わせちゃったわね。ありがとう」

緋咲はこの春、無事大学に合格した。
県内の三流大学で、好きでもない経済学部だが、新生活には胸を踊らせている。
県内と言っても、車で一時間強かかる場所なので、大学の近くで下宿することになっている。

「トッキーは?」

案の定自分の名前が聞こえたけれど、貴時は部屋を出ようとしなかった。
目の前に停まっている黒い車の運転席で、男が煙草を吸っている様子をじっと見ている。

「いるいる。貴時ーー! 緋咲ちゃん、今日引っ越しちゃうってーー!」

同じ家にいて居留守を使えるわけはなく、また頑固に引きこもれば、そのこと自体が何かの意志表示になってしまうから、重い足取りで部屋を出た。