この空を羽ばたく鳥のように。






 八月七日。その日、本二之丁の通りはいつもと違っていた。
 この兵馬倥愡(へいばこうそう)のあいだの城下町で、その屋敷の前だけが、ささやかな華やぎに満ちている。


 知行(ちぎょう)千石取りの丹羽(にわ)宗家(そうけ)の若き当主、そしておさきちゃんの従兄弟(いとこ)でもあり、喜代美の友人でもある右近どのが、今宵(こよい)祝言をあげるのだ。
 お相手は、亡き先代当主・寛次郎さまの実妹で、四歳年上の豊子さま。


 この苦しい戦況の中で、祝言を挙げることは不謹慎かつ非常識に見えるかもしれないが、それはやむを得ないことだった。
 この頃になると、城下のあちこちでは、急ぐように祝言が取り行われていた。

 藩士がいったん戦場に出れば、帰ってくる保証はどこにもない。
 それが家名を預かる当主となれば、家を絶やさぬため継嗣(けいし)(のこ)すのは当然の義務。

 この戦のさなかの祝言は、血脈を遺し家を守るための非常手段なのだ。



 右近どのは喜代美と同じ十六歳だが、彼は白虎隊に配属されてはいなかった。
 彼は千石取りの当主。しかも丹羽宗家は、家老職もつとめた名家だ。
 門閥(もんばつ)を重んじるわが藩は、右近どのを正規軍には配属せず、お殿さまの側近として伝令係に位置付けていた。



 (祝言かあ……)



 羨ましいな、と思う。
 この国家(会津藩)存亡の非常時に、そんなふうに考えるのは不謹慎かもしれないけど。

 けれども、私だって結婚を控えた年頃の娘だ。
 祝言を挙げて妻になることへの憧れがある。
 相手が喜代美なら、なおのことその日が待ち遠しい。


 ……けれども現実は、いまだ父上に何も申しつけられない日々を過ごしていた。










 ※兵馬倥愡(へいばこうそう)……戦争のいそがしいさま。

 ※知行(ちぎょう)……江戸時代、幕府や大名が家臣に俸給として分け与えた土地。また、その代わりとして与えた扶持米(ふちまい)俸禄(ほうろく)

 ※継嗣(けいし)……あとつぎ。相続人。