翌朝は遅刻せずになんとか出社できた。

 穏やかな1日で事件も起こらず定時で帰ることができる。

 なのにこういう日に限って伝達がうまくいっておらず、局長に呼ばれているらしい、という事で2時間待ったが結局人違いでそのまま帰ることになる。

 午後7時半。既に辺りは暗い。

 嵯峨は今日も資料室にいたようで、ひょっとしたらまだ官内に残っている可能性もあったが、一緒に帰ろうというのもおかしな話なので、怖さを我慢して1人で帰ることにした。

 一昨日のことはなかったことでいいのだ。

 そう、自分に言い聞かせる。

 2度あるはずはない。

 同じ事をすれば相手に顔を見られてしまう可能性が高いし、警戒している分抵抗される可能性も高い……。

「うわっ!!!」

 官舎の門の前で黒づくめの男が目の前を突然過ったので、大声を出してしまう。

「? 三咲か?」

 フードをかぶってジョギングしていた嵯峨は、それを取って顔を出した。

「びっ……くりした……」

「1人で帰るな。誰か他にいたろ」

「……誰もいなかったんですよ」

 この人がここで走ってたのなら電話したら迎えに来てくれたもかれしない。

 無駄に気を遣ったのかもしれないと若干後悔しながら、

「ジョギングですか?」

「ああ、身体動かしとかないとな」

「まだ退院して間がないですよ。大丈夫なんですか?」

「それくらいでちょうどいいんだよ」

 まあ、そうかもしれない。3人一組になって、私が足を引っ張るから、いつも以上に体力つけとかないと、とか思ってるのかもしれない。

 というか、そうか…私がジョギングしなきゃか……。

「もう暗いですよ。嵯峨さんも危ないですよ」

「何が」

 嵯峨は笑った。

 こんなタイミングでまさか笑うと思っていなかったので、三咲は心底驚いた。

 そんな事が嵯峨のツボだったのか。

「……」

 予期せぬ笑いで言葉を失ってしまった三咲はそのまま帰ることにする。

 嵯峨もそのまま走って行ってしまった。
 



 横目で三咲が門をくぐったのを確認した嵯峨は、胸騒ぎを感じ、間を置かずにそのまま門を目指した。

 既に門の中に、不審者がいなかったことは確認している。駐車場の車もいつもどおりだ。

 だが、門に入ると同時に中から一台のセダンが出て来る。ナンバーは確認済み。生活安全課の優良刑事だ。

 三咲の姿はない。走って帰ったか。

 だとしたら数秒で電気がつくはず。

 嵯峨は3秒間三咲の部屋を睨み続けたが、様子は変わらない。

 即腕時計を通話に切り替え、グループ通話の応答を待ちながら自らの車に乗り込む。

「三咲がおそらく誘拐された。逃走車両はB10233 生活安全課の須藤 正信の持ち物だ」

『部屋の明かりがついてない』

 山本の声だ。官舎にいたようだ。

『俺も官舎にいます』

 桐谷だ。

『私はまだ署にいます』

 相原がいたか。

「俺は後を追う。山本さんは援護、他は須藤を洗ってくれ!」

『了解!!』

 すぐに相原が答えを返す。

『ETCシステムに該当車両が引っかかりました! 近くのホームセンターで待機中です』

「了解!…車を乗り換えたな」

『防犯カメラで確認します……、誰も出て居ません!再度確認…やっぱりそのままです。スモークが貼られていて中は見えません』
 すぐに現場に到着し、車も見つかる。

「現場に到着。確認する」

 おかしい、須藤は運転席でシートを倒して寝ている……。

「すみません」

 嵯峨はためらわずにサイドウィンドを叩いた。

「あ?」

 須藤は面倒くさそうに起きてくる。

「車の中を確認させて下さい」

「どういう……おい!!」

 聞くより先に、後部座席のドア、トランクを開いたが、人が隠れられるような所はどこにもない。

「何? あんた……」

 須藤は睨みつけてくる。が、証拠がないなら仕方ない。

「……すみません、人違いでした」

「はあ??」

 嵯峨はそのまま車に戻り、車にロックをかけて寝なおす須藤を確認した後、一旦報告をする。

「須藤の車には誰もいなかった」

 誰も反応しないうちに、山本が急カーブで駐車場へ入って来るのが見えた。

『え、明かりつきましたよ?』

 桐谷からの通話の声だ。

『俺今外なんで、確認しに行きます…。おっかしいな。俺すぐ外出たんだけど、建物の中にいたのかな…』

「俺もすぐ帰る」

 嵯峨は言いながら既にアクセルを踏み込んだ。


 ピンポーン。

 呑気な電子音が廊下にまで響いた事に後悔しながら、桐谷は中の物音を確かめた。

 バタバタしている。

 着替えの途中だったか、と少し待つ気で後ろへ下がる。

 しばらく物音が消えた後、

「えっ、あっ、桐谷さん!」

 魚眼レンズで確認したのか、ドアの向こうから声が聞こえた。

「えっと、近くまできたんで」

 って、いつも近くにいるけど。中はドアを開ける気がないのか、数秒返事が遅れる。

「えっと…もう遅いし、私、着替えちゃったので。明日でもかまいません?」

「いや、うーん、うん、いや、どうもないんならいんだけど。さっき俺、外に居たけど急に愛生ちゃんちに電気がついたからさ。
 どっかの部屋に寄ってたの?」

「……………」

 長い沈黙が続く、聞こえていない音量ではない。

「なんでもないですよ、別に。あ、ちょっと電話かかってきたんで、また明日」

 誰かが電話をかけたのかもしれない。

 足音は遠ざかっていく。

 一応グループ通話で、本人は部屋にいるようだが、入室を拒否されたと明かした。この中のメンバーが電話をかけたのではないらしい。

 桐谷はもう一度建物をぐるりと歩いて確認した。どこかの部屋に引きずり込まれてたか、本当に何もなかったか。

 声からは前者の可能性が高いが、本人が隠したがるのに無理に問いただすのは、女性相手にしかも、事情が事情だし気が引ける。

「あ」

 2台の車が帰ってくる。

 嵯峨さんと、山本さんだ。

「無事は無事なのかっ!?」

 通話でとりあえず無事だとは言ったつもりだったが、山本が心配そうに急いて聞いてくる。

「多分ね、時間的に男が1人で部屋に入りにくいでしょ。相手嫌がってるし。一応心配した旨は伝えたけど、黙られて嫌そうにされた」

「………、どっかに引っ張り込まれてたか、口封じされたか」

 嵯峨の推理に全員が納得してしまう。

「かもしんねーけど、嫌がってんだから俺らがあんまり詮索しない方が。相原に頼んだ方がいいですよ」

「それもそうか……」

 山本は溜息をついて納得したようだが、嵯峨は何も言わずに、部屋に戻って行く。かと思いきや、三咲の棟に入り始めた。

「嵯峨さん!行くんすか!?」

「聞きたいことがある」

「ドア越しでも結構外に声が漏れますから、電話の方がいいですよ」

「いや、直接聞く」

 そのまま行ってしまう。

「デリカシーとかないんすかねえ。夜中に女性の1人部屋に行くのが不謹慎っていう」

 桐谷は嵯峨が少し遠ざかってから山本に言う。

 だが山本は、

「それ以上に何か引っかかってんのさ。そうか、相手の心を溶かす自信があるんだよ」