7時まで道場で練習し、準備時間の後、9時から南区の繁華街に3人で出かけることになる。

 8時半、嵯峨が運転する車の後部座席に女性2人が乗り、疲れを見せている三咲に、生島から話しかけた。

「……服はいつもこんな感じ?」

「え……」 

 白い襟のないブラウスに渋い黄色の膝丈のスカート、普段三咲はこんな服を着ていたのかと、今回初めて嵯峨は、今まで全く意識していなかった事を知った。

「あの…キレイ目の恰好で来たつもりなんですけど…」

 生島が望んでいる恰好が、今生島が来ている黒いタイトなワンピースだとしたら、見当違いの恰好ということになる。

「うーん、繁華街の前に駅ビル寄ってくれる?」

「あぁ」

 道はほとんど同じだ。

「そういう清楚な感じよりも、年より少し若めがいいわ。今26でしょ。確かに落ち着きたい年頃だけど、それよりは、肩の空いた薄いキレイ目のセーターにショートパンツに素足…ヒールってとこね」

「え!? ……それを、買いに行くんですか?」

「とりあえずは経費で落ちるから。でもこれからはこの練習が続くから、後の服は自分で買ってね」

「……はい……し、ショートパンツなんか大学以来履いてませんけど…」

「脚が綺麗だからスカートよりパンツの方がいいわ。その方が親近感も出るし」

 ビルの地下に着くなり、30分で戻ってくるから、と言われて待ったがおよそ倍の時間遅れて帰ってくる。

「………」

 車のフロントガラスからでも見違えた。三咲の普段の化粧がどうだったか思い出せないが、良い感じになっていることに間違いはない。

「どうしよう…飲んだら結構トイレに行きたくなるんです…」

「ショートパンツは少し冷えるからね。足元のあったかは今後考えるとして。どう? 嵯峨君」

 何をきかれているのか充分分かっていたが、

「何が?」

 とあえて聞く。だがそれで充分伝わったのか、生島は笑って「繁華街は混んでるのかって事よ」と言い直す。

「……パーキングはいくつか空いてる」

「じゃあそこ停めて行きましょう。インテリアショップの近くにいいお店があるの。とっておきの練習場よ。質のいい男が女探して待ってる店。会員制なの」

「か、会員制なんですか!?」

 何故か三咲は大きく反応する。

 その間に嵯峨は、目立たないコインパーキングの場所を選んで停車させた。人通りはほとんどない。

「その方が身元が割れてていいでしょ。2人の会員証は用意してあるから。
 まずは、私が入るからね。マイクだけ付けて行くからよく聞いてて。よく聞かれるんだけど、イヤホンはダメね。
 次は先に1人で入る。後から嵯峨君が行くからね。イヤホンがないとやりとりできないから、嵯峨君はよく見ててあげて。自分が女の子探すのに夢中になっちゃダメよ。
 マイクの声は録音しておくから、後で反省会しましょう」

 それだけ言うと、生島はヒールを鳴らして颯爽と出て行く。

 嵯峨はシート越しに後ろを振り返ったが、どうも話がしにくいので、一度外に出て後部座席に座り直した。

『混んでるかどうかは中入らないと分かんないわねえ』

 小さく1人言を言っている声が、小型スピーカーから聞こえる。

 店内に入り、案内されている声が聞こえる。

 ふと気づくと三咲が細い脚を隠すように両手で覆っているのを見て、「寒いのか?」と聞きながら上着を脱いだ。

「い、いえっ!緊張で!」

と首を振ったが、どちらでもいい、

「かけとけ」

と上着を渡した。

「ありが…」

「シッ」

 指を立てて小型スピーカーからの声に集中する。

『ああ……、初めての方ですか?』

 男性の声だ。いきなり他の客に話しかけられている。

『いえ。でも、久しぶりです』

 敬語を遣っている辺り、相手は年上なのだろう。

『何か、飲まれます?』

『どうしようかしら。お酒も久しぶりなんです』

『仕事がお忙しかったの?』

『まあ、海外が長くて、今も時差ボケしてます』

 くすくすと笑い声が聞こえる。

 その後、酒を飲みながら随分男が誘ってきていた。

 最後は露骨に、フェラーリ一台では足りないかと聞いてきていたが、生島は上手に行くとも、行かないとも、次があるとも、ないとも取れぬ発言をうまく使い回し、

『君が来てくれるのなら、毎晩通い詰めるよ…』

と相手が言ったところで、終わった。

 時間は40分。三咲は終始不安そうに会話を聞いていた。樫原が三咲に声をかけることはないと思うので、声をかけられた時の実践よりも声をかけられなかった時にどう引っかけるかの実践の方が大事だと思ったが、それなりの段階があるのかもしれないと考え直す。

「お疲れ様」

 後部座席のドアが開いた瞬間、嵯峨は声をかけた。

 嵯峨が後部座席にいることに気付いた生島は助手席のドアを開け直し、腰かけた。

「お疲れ様です!!」

「店内は年寄りが多いけど、30半ばくらいのもいた。樫原は36だからそれくらいのを狙わなきゃ意味がない。
 年よりはすぐに話しかけてくるから、それをまず適当にあしらってね。
 そのために、先に若い子の近くに座らないとダメ。

 店内は壁際のカウンターと、店内をぐるりと囲む丸いカウンターの二種類、ボックス席が10近くある。若い子はボックス席で座って待って、相手を品定めしてから話しかけてくるから。若い子が近寄りやすいカウンター席に座らないといけない。まだ席が変わってなかったら、丸いカウンターの奥側に座ればいいわ」

「………分かりました」

 極度に緊張しているのが隣にいる俺にも伝わってくる。

「ところで、今私が話をしてたのはいくつくらいの子か分かる?」

「……敬語だったから…生島さんより年上ですか?」

 随分遠回しな発言だ。さきほど2人の予想では、50くらいと既に判断は出ていたはずだが。

「30半ば。ぴったりでしょ。相手には必ず敬語。見た目では判断しない。その人は避けてね、紫のネクタイに茶髪だから。他にまだいいのがいるから、それ引っかけて、ホテルまで連れ出せたら完璧ね」

「えっ!?」

 ゴールがホテルだと思っていなかった嵯峨は三咲と同じほどに驚いた。

「ホテルに行って、自分だけ出て来るの」

「そんな、どうやってです!? 財布忘れた、とか…」

「なあに言ってんのよ。キスがうまくない、って言って焦らして帰ってやるのよ」

 生島はウインクを決めたが、対して三咲は、顔が引きつっている。

「まあ、いっぺんには無理だから。今日は30代半ばの男と話をする。それだけでいいわ。連絡先は絶対交換しない。これも鉄則ね。身分も明かさない。もし、その男が樫原と関係ありそうな男なら話は別だけど」

 会員制といえどこんな開けたバーでそれはないだろうと思う。

「さ、行っておいで。嵯峨君はしばらくここで待機。私がタイミングを出すから。バックはなるべく身近においといてね。マイクが聞こえないから。聞えなかったら私から電話するわ。適当な話しかしないけど、マイクの意味だからね」

「あ、はい……。スマホ……。あります。分かるようにポケット入れときます」

「うん……。落ち着いて、深呼吸。大丈夫。店員もたくさんいるから、変なことにはならないわよ」

 何度も頷いて、三咲は車から出て行く。

 その次の瞬間、生島は大きく溜息をついた。

「つっかれたー」

 すぐに煙草に手を伸ばし、キーを少し回してサイドウィンドゥを勝手に下げた。

「あの子、ほんと大丈夫かしら。すぐ行く準備しといて。店内に変なのはいないけどね。年よりがすぐ話しかけてくるから」

 スピーカーから声が漏れ始める。

『あ、はいあの、これ……はい、そのはい…』

 会員証を確認されているらしい。

『あ……』

『いやあー、若い子は久しぶりだ!』 

「いきなりおっさん登場」

 生島は眉間に皴を寄せて、煙を吹き飛ばした。

『いいいいえ、私はその、今日は1人で飲みに来たので!!』

「ぷふふふふふ、なんで1人で飲むのよこんなとこで」

 生島は愉快そうに笑う。

『ぼ、ボックス席でいいです!!』

 店員に指定している。

「うんうん、まあいいわ。寄ってくるヤツは来るから」

『へえー、面白い子が来たね』

「ほらさっそく来た」

 さっきと口調が違う。若い感じがする。

『あ、っと……』

『何飲む? 何でもいいなら、出させて』

「さっきはいなかったなあ、こいつ…」

『あえっと、はい、あの、でも、その、不躾で失礼ですけど、ちなみにご年齢は……』

「いきなり何聞いてんのよこの子ー!?」

『年齢? そんなの気になる? いつくに見えるって質問したけど、いつも年相応に見られるからやめとくよ。33』

『あぁ……』

「会話になってないじゃない」

「33が対象かどうかを考えてるんだろ」

「忠実すぎる犬ね」

 生島は吐き捨てる。

『じゃあ君はいくつなの?』

『あえっと、25です』

『随分若く見えたよ。20過ぎてるのかどうかあやしいくらいだったよ』

『えっ、まさかそんな…』

『お待たせいたしました』
 
 店員らしき声だ。

『はいこれ。僕のお気に入り―。めちゃくちゃ美味しいよ。ラズベリーのカクテル』

「絶対酔うわ。度数高いはずよ」

『軽めにしといたから大丈夫だよ。半分くらい飲んだら結構味が分かるんだけど、どうかな?』

「言われるがままに飲んでるわよねー、絶対」

『……あ、はい、ジュースみたいで……』

『ところで、その会員証は誰からもらったの?』

『え?』

「あしまった、この練習してなかったわね…」