既に深夜になっていたが、病院に行った。だが山本は、ICUに入ったままで、結局面会謝絶だった。

 早く早く犯人を捕まえたい。三咲の気持ちは募っていく。

 しかし、自分は被害者ではない、自分は関係がない、という気持ちが消えない。

 広いエントランスロビーに誘われるように大きく溜息をついたせいかどうか、嵯峨が病院の待合ソファに先に腰かけた。

 三咲は、座る気がしなかったので、そのまま立っていることにする。

「今、防犯カメラから犯人の割り出しを急いでいるところだ。あの銃の腕は素人じゃない」

「……爆弾についても、ですよね…」

「自衛隊…ヤクザ、殺し屋…。警官」

「………」

 三咲は嵯峨を見下げた。

「あらゆる可能性から考えていく」

「警官……、まさか……」

「1つ、聞きそびれていたことがある」

 三咲はぼんやりと嵯峨を見た。

「俺と山本さんが須藤を追いかけてホームセンターに行った時、桐谷が家に行く前。犯人と接触したろ。あの話を何故しない?」

「………」

 まさか今それを聞かれると思っていなかったので、大きく顔に出てしまう。

「結局ほとんど素姓が分からないから、言わなかったんだろうが」

 三咲は観念して、口を開いた。

「………、あれが……犯人なのかは分かりません。同一犯なのかは分かりません。………階段で……待ち伏せされていたとは思います。……黒い……ニット帽で、目だけ出ていたんだと思いますけど、背後からだったのでニット帽の頭しか見えませんでした……」

「体格は?」

「……嵯峨さん……くらいだったかもしれません。でも、一瞬のことで……突然羽交い絞めにされて……「殺すぞ」とだけ言われました」

「それだけか? だとしたら何故、俺が後から部屋に行った時、シャワーを浴びてから出てきた?」

 ストレートに聞いてくる人だ……。三咲は溜息をつく。嵯峨に隠し事は出来ない……。そう判断して、決心して言う。

「「殺すぞ」と言われた後、背中の襟元から何か液体を入れてきたんです。最初は……ガソリンを入れられてるんじゃないかと思って大きく抵抗したんですが、全然力が敵わなくて……」

「結局は何だった?」

「……唾液か……そういう類の物だったと思います。よく見ずに服はそのまま捨てました」

「それが証拠になるとは思わなかったのか?」

 三咲は一気に脱力した。

 そして、この人は刑事なんだとはっきり感じた。

 同時に、自分は、刑事にはなりきれてないとも痛感し、一連の自分の行動を初めて激しく後悔した。

「わ、私は全然何の役にも立たない刑事です! 被害に遭ったって、被害者だとも思いたくない。自分の気持ち、優先です。自分の感情が優先してます……!!」

 泣きたくはない。泣きたくはないのに、悔しくて、自分が間抜けで涙がどんどん滴り落ちていく。

「きっと私があの時服を捨てなかったら、もっと捜査に協力していればこんなことにはならなかったかもしれない。でも! だからって!!」

 それはあまりにも酷い。

「山本さんは実際あの状態だ」

 嵯峨は追い打ちをかけてくる。

「あれを食い止められたのはお前だけだった」

 あぁ、同士をあんな目に遭わせた私を憎んでいるんだ。

 表面上はなんとなく優しくして、内心恨んでいたんだ。

 何かがカチンと音を立てて壊れた。

 それは、取り返しのつかない音だった。

「私、辞めます」

 警察手帳をそのまま床に投げつけた。その瞬間、涙が更に溢れた。

「誰も私の気持ちなんて分かってくれない!!」

 さっと振り向いて足を出したが、

「おい」

 簡単に腕を取られて動けなくなる。逃げられないように本気で腕ごと掴んできているのが分かる。

 前に進もうとすると、更に腕を取られ、涙が滴になって落ちた。

「分かってるさ、お前の気持ちは」

 そんな言葉を言うと思わなかったので、一瞬返事が遅れた。

「……分かってないです!!」

「分かる……俺も同じだったから」

 嵯峨の顔を見上げた。そこには、いつもと違う、険しくも冷たい、何の表情も映し出さない顔があった。

 ようやく、腕を離してくれる。


「そこ座れ」

 促されて、素直にソファに腰かけた。

 警察手帳は、手でさっと拭って、ぽんと膝の上に置かれる。

 嵯峨は1つ座席を開けて、どかりと腰かけ、足を組んで背もたれに両腕をかけた。

「俺の経歴見たろ……。同僚刺殺未遂」

「……はい…」

 あれを見る限りでは加害者だった。

「麻薬の囮捜査で。俺のミスからそいつは身元がバレて薬を盛られ、気付いた時には廃人寸前だった」

「……」

「ヤツは……最後の一声を振り絞って、「殺してくれ」とそう言ったんだ……」

「………」

「俺は刃を向けた。致命傷だった」

 致命傷……。

「……未遂じゃ……」

「未遂じゃない。あの時ヤツは俺の手で死んだ」

 嵯峨は天井を見上げて言い切る。

 三咲はその嵯峨の横顔から視線が離せなかった。

「上が勝手に未遂の後退職にしたんだ。天涯孤独なヤツだったから…誰も疑うことはなかった」

「………」

「俺も、そうだと自分に言い聞かせた。
 ヤツの望み通りにして事件も解決した。しかも、俺は捜査二課から外された。
 それで良かったんだ、あれ以外の方法はなかったんだと自分に言い聞かせた。
 俺は警視庁始まって以来の早期二課長になる事が約束されていた、それを破談にされたんだ、と。
 だが、幾日、何年経っても、あの時自分の気持ちを優先させずに公にしていればと思う」

「………」

「何日も眠れない日が続いた。
 殺人犯になった自分が怖かった……」

「………」

 かなりスケールの大きな話に、適当に返す言葉がなく、聞いたことを若干後悔する。

「心配すんな。もうこの話が表に出ることはない」

 声色が変わったことに気付いて、三咲は嵯峨の顔を見た。いつもの無表情に戻っている。

「………」

「1つの真実を捻じ曲げることで、後悔するのは多分自分だ」

「………」

 ふっと嵯峨は笑った。

「分かるよ。お前が処女を大事にしていた気持ちも」

「ッ!!」

 あからさまに言われて赤面したが、言い返す言葉もない。

「他人の俺ですら腹立だしいよ。大事な上司に何をしてくれたんだと」

 そういう、普通の感情もあったんだと若干驚く。

「特に山本さんは、その気持ちが全面に出てた。少しでもお前の気が晴れるように率先して動いてた。ショッピングモールで買い物って、いつもの調子からは考えられねーよ」

 嵯峨は更に笑う。

「それは…でも…私が強引に誘ったかも」

「でも嫌な顔しなかったろ? みんなお前が守ってたものを壊された悔しさとか、そういうものを排除したい、また、お前を仲間を守りたいと思ってる」

 心がただ、温かくなる。

「私………嵯峨さんのこと……酷い刑事だと思ってました」

「見直してくれてよかったよ」

 また少し笑う。

「あの……山本さんが、嵯峨さんは顔は笑わないけど内心では笑ってるだろうって最初の時に言ってました。でも、よく顔で笑いますよね?」

 言うなり急に表情が引き締まる。

「……それは山本さんがそう思ってるだけだろ。俺は別に、何の意識もしてねーよ」

 ムスッとし、眉間に皴を寄せる。あぁ、最初はこんな顔をよくしていたなと思う。

「あぁ……そっか……。犯人捕まえなくちゃ」

 前を見上げる。

 あの日のことを、犯人のことを、今なら鮮明に思い出せるかもしれない。

「……最初って。初めての時って」

 嵯峨が理解するまで待つ。

「初体験の時って、王子様みたいな人がすっごい優しくリードしてくれるんだって、私26年間ずっと思ってましたから」

「……そういう男がきっといるさ。そして、今のお前を受け止めてくれるヤツもちゃんといる」

「………」

 思いもよらない言葉に、嵯峨を見つめた。

 だが、嵯峨はまっすぐ前を向いている。

「そっか……。今は、運が悪かったと思って。犯人逮捕して。それが済んだら私、絶対結婚しよう」

 立ち上がって嵯峨を見た。

 予想通り小さく笑っている。

「…山本さんみたいな人がいいな……」

 独り言で呟いたつもりだったが、

「……まあ、そういうのもアリじゃねえ?」

と、意外にも反応するので。

「いやいや、それは、タイプの話で! ただの優しさの度合いの話ですよ?」

「……あぁ」

 反応は薄い。どうでもいい会話だったようだ。

「嵯峨さんは結婚しないんですか?」

 しても、この性格と、仕事じゃ長続きしないだろうなとは思う。

「……お前が今思った通りだよ」

「えっ!? いや私、何も……」

 嵯峨は立ち上がった。

「さ、帰るか」