その上、私は、大学4年生の時、たくさんいる親たちに内緒で、結ちゃんの会社の入社試験を受けた。

3人の男の子を育てながら、生き生きと働く結ちゃんは、私の理想に見えたんだ。

それに結ちゃんの会社には、名古屋支店がある。

いずれは、両親の住む名古屋に帰りたい。

私にとって両親とは、育ての親の事。

他に親が何人いようとも、そこは譲れない。

内緒で入社して驚かせようと思ったのに、最終の役員面接で、専務の海翔くんと本部長の天くんに会ってしまった。

帰宅後、なぜか海翔くんまでうちに来て、海翔くん、天くん、結ちゃんに問いただされた。

だって、私が通ってる大学は、音大のピアノ科だったんだもの。

だけど、どんなに好きでも、才能がなきゃ音楽じゃ食べていけないし、食べて行けなきゃ音楽は続けられない。

私はいくつかのコンクールで賞はもらったけど、全て地方大会まで。

大学4年まで頑張ったけど、全国大会では、かすりもしなかった。

大きな受賞歴がなければ、ピアニストとしては、やっていけない。



私は、複雑な家庭で育ったけど、とても幸せだった。

育ての母が愛情いっぱいに育ててくれたから。

私の母になった時、若くして大学の准教授だった母は、25年もの長い間准教授の座に甘んじて、5年前、ようやく教授になった。

私を育てる事を第一に考えて、仕事をセーブした結果、出世を何度も見送ったらしい。

私は、そんな母を誰よりも尊敬している。

だから、私は母のようなお母さんになりたかった。