「いえ。お礼を言うほどでは、ないです」
「本当は、すっげえ今、辛い。ぐちってもいい?」
テーブルに突っ伏していた彼が、捨てられた猫のように言うので頷く。
すると椅子をずるずる引きずって近づいてきた。
ちょっと近すぎる気が、するのですが。
「なんか教室がさあ、お通夜みたいなお葬式みたいな。もう俺が転校するって諦めて、紗矢さえ泣いてるし」
「そうですね」
「先生だって、あんなふうに俺が転校するって言うし。意味わかんねえ。俺はしないって言ってるのに」
少し重い沈黙の後、彼は初めて下を向いた。
下を向いて、バツが悪そうに少し口籠った。
「織田が『たかが転校で騒ぐな』って言ったんだ。一生許せねえよ」
たかが――。
「そんな。お父さんと喧嘩してまで転校したくないって言ってる陣之内くんに言ったの?」
「……そ。お前なら引っ越しても上手くやれるだろ、男がぐちぐち言うなって。信じらんねえ。大人にとって、子どもの世界は全部『たかが』なんだ」
あーあ、と搾り落とすような声。
本当に、残念そうに、今にも泣きだしそうな声。
「例えば、あの煙突。目が覚めたら窓から見えてしまう、工場の煙突。あれが視界から消える。学校までの道、三年間ずっと友達と歩いてきた道、スーパー、公園、ゲームセンター、汚いけど居心地のいい家。全部リセットしろって。簡単に言うんだ。信じられねえ。俺が好きなものは、全部たかがで、全部子どもの小さな視界で、全部馬鹿みたいなことにこだわってるんだ」



