その声や、吐息や、
わたしの頬に少しだけ触った短めの黒髪は、

さっきまでの恐怖心をぜんぶかっさらっていった。


どうしてだろう。
今、わたしの耳元で囁いた人も、

実は怖いオバケかもしれないのに、なぜこんなにも安心するのだろう。

「…………よかった。俺は嬉しいよ。君が安心してくれてさ」
と、男の人が言った。

ふと気がつくと、さっきまでいた怖いオバケ達は、ただの一匹もいなくなっていて、

部屋には、私と、その男の人が二人だけだった。

「あなたは………誰ですか?」
声が発せられない今、わたしは心の中で念じてみた。


強く念じれば、テレパシーのように伝わるかもしれない。

そう思ったら、男の人が立ち上がって、3、4歩あるくと、部屋のイスにちょんと腰を掛けた。


よく見るとスタイルが良い。
足は細くて、黒いジーンズがよく似合っている。


丈の長いコートは少し、古くて傷もあったけど、嫌な感じじゃない。
イスに座って、足を組んで、手も組んでいる。


「……俺は、誰なんだろうね」
と、彼は言った。


その言葉は、わたしに対する質問ではなく、
まるで自分自身に問いかけるような、口調だった。


「俺は、俺でしかないのかな。でも、これだけは覚えておいてほしい」
わたしは聞き耳を立てた。


「例えば、赤い糸で結ばれた二人が、同じ町に住んでいるとする。
二人はいつか運命の人に会えると信じている。


けれども、一人は、昼間の世界に生きていて、
もう一人は、夜中の世界に生きている。


だから二人は決して出会うことができないんだ。
同じ町に住んでいても、違う世界を生きている」



その言葉は、
私の耳に張り付いて取れなかった。





光が影を生む限り




決して出会うことは、
できないのだという事実。