紅茶に浸ったマドレーヌの香りに、幼い頃からの膨大な記憶が蘇る。

 そんな話があった。


 俺は…


 マフラーに染み込んだ幽かな香り


 白檀と仄かなベルガモットの柔らかで白いコットンレースを思わせるあの香りに



 俺の心の全ては君の記憶に奪われる─



        *   *   *

 香りの記憶の始まりは、暑い夏の日の朝だった。


 君は学校の最寄り駅の裏改札で一人立っていた。


 まだ朝だというのに照りつける太陽。
 夏空には、大きく大きく広がる入道雲。

 君は白いコットンのワンピースにざっくりと纏めた長い黒髪。
 避暑地のお嬢さんみたいだと思った。


 俺と眼が合った君に声を掛ける。


「南条早かったなー」


 君がにっこりと微笑む。


「行こうか」


 そう言って隣に立つと、君は


「はい」


 と俺を振り仰ぐ。


 揺れる束ね髪と白いワンピース。
 夏の風に煽られて香りたつ白檀とベルガモット。


(あ…)


 胸の中が甘く波打つ。


 それが記憶の最初だった。



 ただ、その時は既に俺は…

 君に心を奪われていたように、後になって思う。


        *   *   *