「先生ごめんなさい、急に兄が…」
「良いお兄さんだね」
私が謝ると先生は硝子扉の向こうの兄の後ろ姿を見送りながら言った。
「羨ましいな」
「?」
「お兄さん。南条のこと何でも知ってるんだな、って思って」
「え…あっ、あぁ、確かに兄妹仲は良い方だと思うけど。でも何でもは知らないよ?」
狭い階段をトレーを手にした先生が先に、その後ろに付いて私が上る。
「そんなことないよ。お兄さんは南条が生まれた時からずっと南条のこと知ってるわけでしょ?
好きなものとか、一緒に過ごした思い出とか。
俺の知らない南条の歴史を知ってるんだから」
(先生?)
「先生だって…妹だって言ってくれるじゃん、私のこと」
「……」
先生が不意に口をつぐむ。
そして何か考え込むように鳶色の瞳が揺れる。
「なぁ」
「ん?」
「『妹』っての、やめてもいいか?」
「え?」
先生の言葉の真意を測りかねて、何と返して良いか分からなくなる。
「やっぱ俺…お前の兄にはなりたくないな」
(!?)
窓際の少し広いテーブルに先生がトレーを置く。
上階は更に人が疎らで、私たちはまるでふたりきりしか居ないかのようにそこで立ち尽くしたまま互いに視線を逸らせずにいた。
(それって、どういう意味…?)
私のこと、嫌いってこと?
でもこうして優しくしてくれてるんだよね?
じゃあ…?
考えても答えは出なくて唇を噛んだ時、先生がゆっくりと、静かな口調で語り出す。
「お兄さんは今までの南条を全部知ってるかもしれない。けど、これから大人になってゆく姿をこれから先、遠い未来もずっと傍で見てられるわけじゃないだろ?
俺はそんなの…嫌だから」
「!!…先生?」
先生の真っ直ぐな眼差し。
その艶やかな深い鳶色の中に私が映る。
ねぇ?それって…
それって…?



