あたしは細く
冷えた夜気を吸い込んだ。

吸い込んだ空気を吐き出す前に
樹也は口を開く。


「まあ、難しいほうがいいや。
そのほうが、頑張れる」

「……じゃあ、『ごめん』は云わなくていいの?」

「あんたが云い出したら、俺も絶対云わなきゃいけなくなる。
それは勘弁だな」

「わかった。じゃあ云わない」


粗暴な顔をしているくせに
きちんとあたしに
気を遣ってくれるこのひとに
これ以上借りをつくりたくない。


「じゃあね。……ありがとう、樹也」


きしむ門扉に手をかけて
せめて薄い笑みをつくる。


「じゃあな」


すっ、と一度離れそうになった距離が、縮まる。


「明姫?」


かたん、と背後で、玄関のドアが開く音。

聞き慣れた声が、あたしを呼ぶ。


――だけど。


ぐい、とねじられた身体のせいで、
あたしは、
その声の主を、確かめられなかった。

頬に添えられた手と、
唇にふれたぬくもり。

肌の接触を超えた、感触。


――あたしは、樹也に、キスされていた。