「そういえば。高本くんにはさ、長年の謎っていうか、長年抱いてる疑問みたいなのってある?」

「ええ……人はなんのために生まれるのかみたいな?」

「いや、そんな哲学的な感じの返答を想定して言ったわけじゃないけど」

「じゃあ、その人が持つ『個性』とはどこまでのことをいうか、かな」

「いや、さっきとさほど変わらない気もするけど。えっ、高本くんの疑問ってそんなに難しいものなの?」

「まあ、個性の方は一時期真面目に考えてたよ」

「へええ」

外へ目をやると、向かいに見える屋根から小さな鳥が飛んでいった。

「えっ、なんでそんな難しいことを?」

言いながら高本くんへ目を向けた。

「いやあ……。ところで美澄さんは? なにか長年の疑問があるの?」

「ああ、そうそう。この近くにさ、喫茶店があるじゃない」

「『喫茶 なつしろ』のこと?」

「そう、あの気球のお店。あのお店ってなんで気球なんだろうっていうのがね、わたしの長年の疑問なの」

「あれはね、花の名前からきてるんだよ。マトリカリアって花知らない?」

「マトリカリア?」

「そう。マトリカリアっていう、五月から七月頃に咲く花があるんだけど、その和名の一つがナツシロギクっていうものなんだ。

花言葉は、『鎮静』、『集う喜び』。喫茶なつしろは『集う喜び』のためにその花の名前を使った。

で、そのまま『喫茶マトリカリア』でもいいかなってなったんだけど、長くねえかという話になり、マトリカリアの別名や和名を調べた。

出てきたのは『タナセツム』や『イヌカミツレ』、『ナツシロギク』といったもの。

一番使いやすいのは『ナツシロギク』かってなったんだけど、そのまま『喫茶 ナツシロギク』となるとやっぱり長いと。

そこで、平仮名で『喫茶 なつしろ』ならばかわいくないかという声が上がり、喫茶店はその名前になった。

しかし『ナツシロギク』の『ギク』も入れたいとなり、最初は店のイメージとなるもの――後の気球を、日本で古くから愛されている菊の花にしようとなったんだけど、

菊の花に対し別のイメージを抱く人もいるだろうという話になり、では九本、または九種の樹木で、木が九、キク、にしようとなったが、今度は面白みに欠け過ぎるということになった。

それでキとクになればいいのだろうと考え、木が九本でキクにしようとしたならキとキュウでいいんじゃないかとの考えに及び、キ、キュウ、気球だ、と。

それで『喫茶 なつしろ』は、気球が印象的な喫茶店となったってわけ」