その瞳に写る頃


「ノダさん」

高本くんの声へ、少し悩んだ末に「タグチさん」と返した。

数分続いている、実在する名字に限定したしりとりだ。

濁点は付けても取っても構わないというルールを設けた。

「チヒキさん」

「ちょっと待った、チヒキさんってどんな字書くの?」

「地面の地に引く。小学校の頃にいたんだ」

「へええ。で、えっと……キか。キノシタさん」

「タ……タナベさん」

「ヘラさん」

「ラ……」

高本くんは少しの沈黙のあと、扉の方を振り返り、「あっ」と声を上げた。

「ライオン」

「はあ?」

「ライオン……いたから」

どこ、と言いながらわたしは高本くんの見る方を振り返った。

こちらへ向かってきているこの席の主に、「美澄さん。いらっしゃい」と声を掛けられる。

「おじゃましてます」と会釈する。

「で、ライオンどこ?」

「鞄で揺れてる」

高本くんが控えめに指で示すと、わたしが借りている席の主は鞄をこちらへ向けた。

伏せの姿勢をとる動物の比較的大きなストラップが見える。

フェルトのような素材でできている。

彼女は「これ?」とストラップを指で示した。

「高本くん……これ、犬だよ。たれ耳の柴犬」

高本くんは椅子の背もたれに置いた腕に顔を隠した。

ちらりとこちらへ目を向けると、「ライオンのたてがみのない種類かと思った」と呟く。

わたしは「種類っていうか女の子ね」と笑い返す。

わたしは密かに彼の視界を想像した。

見えるものすべてが色を変えたら――。

「でも……ライオンにも見えなくはないか」

わたしは静かに発した。

席の主はストラップに触れ、「これ自分で作ったんだけど、うち向いてないのかな」と苦笑した。

「ていうか美澄さん、返却期限過ぎてる」

「ああ、申し訳ない」

「うちの荷物片付けてくれてもいいけど」

「いや、それは大丈夫」

借りていた席を立つと、「席温めておいたから」と持ち主に耳打ちし、わたしは自席へ戻った。