重たそうな焦げ茶色の扉の前、わたしは三度目の深呼吸をした。
翌日ここへくるということを伝えると、昨夜の食事中、母は非常に驚いていた。
素晴らしい勇者だと言われた。全力で楽しんでこいとも言われた。
「あのう……美澄さん。別に高級料理店でもあるまいし、そんなに緊張するほどではないと思うんだけど……」
「わたしはそれを否定する。この店に立ち入るのは、我が美澄家の人間で今日のわたしが初めてなのだ」
「うちに来るみたいに行けばいいじゃない。実際そんなようなものなんだし」
「いや、わたしはそれを……」
否定できない、とわたしは微かに続けた。
確かに、毎日を共に過ごしている高本秀――彼の父親が経営している喫茶店なのだ、喫茶 なつしろは高本家の延長線上にあるようなものだった。
「……マスカットティー、あるんだよね?」
わたしは言った。
「うん」
「……おいくら、でしたっけ?」
「七百五十円」
「いや高いし」
「申し訳ない。あの人、ちょっとおかしいんだ」
高本くんは言いながら、自身のこめかみを人差し指で二度叩いた。
「やるからには一番いいものを提供するというのが彼のポリシーというかモットーというか――らしくてね」
「ああもう……」
わたしはため息をついた。
「そういうこと言われるとなあ、飲んでみたくなっちゃうんだよね。わたし、マスカットティー全力で愛してるし」
「では、行きましょう。なつしろの本気をご堪能くださいませ」
わたしは自分の顔を強く叩いた。
「よし、行くよ」