恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない

「意識あり。軽度から、やや中等度寄りでしたね。早く連れて来てもらえてよかった」

 私に同意して何度か浅く頷く顔は、まだ眠たそう。

「名前は?」
筒浦(つつうら)ルナ。シーズー、十二歳」
 まだ会ったことない子だ。

 小型犬は大型犬に比べて、水を飲む意識がやや低いっていうし、鼻が短いシーズーだし高齢だし。

 熱中症のリスクが高いから、気をつけてあげてよ。

 院長が、ゆっくりと万年筆が転がるように、少しずつ滑りながらデスクに伏せていき、右手に持ったカルテをひらひらとなびかせた。

 詳しいことはカルテを見ろってことね、しばらく寝かせておこう。

「お疲れ様です」
 小さな声で労い、近くの椅子に座りカルテに目を落とす。

 リビングで熱中症ね。
 エアコンをつけっ放しでかかる電気代よりも、熱中症になってかかる治療費の方が高くなる。

 なにより軽度から命の危険までの時間が極端に短くて、半数が命を落とすくらいだから、きちんと適切な管理をしてあげてほしい。

 小川の症例では、旅行で避暑地にいて地元に帰って来て、すぐに熱中症になった子がいた。

 急激な温度差も熱中症を引き起こす原因になる。
 オーナーが観察しながら、こまめに水分補給をしてあげないと。

 ルナは点滴で落ち着いたんだ。

 院長のことだから、ルナの点滴中も容体が急変しないか、ずっと寝ずに見守っていたと思う。
 子供のころのようにね。

「ゆっくり休んでください」
 すやすや寝息を立てながら眠る、無防備な横顔に視線を移して呟いた。

 院長、疲れているでしょうに。ちゃんと使用後の保冷剤を冷やしてある。
 見渡せば診察台もきれいに片付けてある。
 
 当然といえば当然なんだけれど、それでもタフな院長に感心する。
 
 入院室の用事を終えてから、待機室に下りた。

 そっとドアを開けると深い眠りにどっぷり落ちて、気持ちよさそうにぐっすりと眠っている。
 起こすのがかわいそうで寝かせておいた。

 その足で入院室に戻り、患畜の世話を始めた。あとは、これから香さんが通勤して来るから任せよう。

 院長、この分だとなにも食べていないよね、お腹がすいているはず。
 自宅に上がって食べている時間はない、サンドウィッチでも買って来よう。

 裏口を開けて一歩屋外へ出ると、まだまだ日射しが眩しい。
 それに太陽光線は、肌をちくちく刺してくる感じに痛いほど強い。

 パン屋さんでサンドウィッチを二袋買って歩いていたら、向こうで人だかりが。

 輪の中には、しゃがみ込んで笑顔の人もいる。いったい、なんの騒ぎなの。

 歩きながら集中するように目を細め、じっと見ていると、輪の中に僅かに白い毛が見えた。

 動物? こっちを見てよ、顔を向けて顔を。

 目を凝らすと、見覚えのある満面の笑みが見えたから、思わず声を上げて名前を呼んだ。