***

 今日は院長は講演会のため不在。最新医療に、おいていかれないために参加するって意気揚々と出かけて行ったわ。

 代診は海知先生にお願いしたって。知らない獣医よりも勝手知ったる海知先生なら慣れているから安心する。

 また今朝も池峰さんが来院。立派、立派、オーナーの鑑。今日は、いったいなんでしょう。
 でも、残念ながら院長は不在なのよ。

 問診をしたら、食事についてお聞きしたいって。ノンネが毎日、元気なのだけは救われる。

「海知先生、池峰ノンネ、トイプーです」
「元気も食欲もある、犬にも病識なし。ワクチン接種済み。今日は、いったいなにしに来たんだ?」

 診察室に向かう海知先生の頭上には、たくさんのはてなマークが飛び交っている。

 二十分ほどして、疲れ切った顔の海知先生が診察室から出て来た。

「あの人なんなんだよ」

 温厚で穏やかな性格は、オーナーに対しても同じように発揮されるのに、珍しく声を上げる。

「カルテに、おかしなオーナーの印つけておけよ」
「すみません。やっぱりまずいオーナーですよね」
 顔を歪ませて謝った。

「やっぱりって。みんなも変わってるって思ってるなら、印つけておけよ」

「香さんと私は、とっくにつけたいんです。でも院長が無頓着だから、印の意味がわからないと思うからつけていません」

「無頓着って、なんなんだよ」

 まだ海知先生は、院長の動物以外の無頓着さを知らないから、途方に暮れたみたいに肩を落として天を仰ぐ。

「院長は動物に対しては、常にアンテナを張っていらっしゃるんですが」
「異性問題も考えた方がいいよ」

 池峰さん、海知先生にまでか。周りが見えなくなっているのかな。

「愛犬可愛さでなら、タチの悪い病気にオーナーが疑心暗鬼になって、院長院長って院長に診てもらいたくて、依存して求める気持ちはわかる」

 海知先生も私も、悪さする病気や原因不明の病気を患う患畜を目の当たりにしてきた。
 そして、動揺したり不安を抱き、心のやり場のない数多くのオーナーを支えてきた。

 だから、ふだんの海知先生は、つらいオーナーには寄り添ってあげる優しさがある。

「でも、ノンネのオーナーは違う。わが子同然のノンネを、どうにかして院長に治してほしいっていうのとは違うよ」

 疲れ果てた海知先生の顔が少し回復して、口を開いた。

「第一、オーナーが院長に依存するほど、ノンネは重患じゃない」
 機関銃みたいに口を開いた。

「今日は院長じゃないんですか? 今日は院長はどうされましたか? 口を開けば、院長は、院長は。俺は院長の秘書じゃない」

「池峰さんには、ほとほと困ってます。海知先生にまで、不快な思いをさせてしまって申し訳ございません」

「どうして謝る? 川瀬が謝ることじゃない」