恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない

 午後の診療が終わり、入院の患畜の世話も済んで一階の掃除をしていた。

「川瀬さん、時間だからカギ閉めて」
「はい」
 パソコンのキーボードの音だけが響く中、入口の施錠をしようとした。

「すみません、診察お願いしたいんてすけど」

 レッドのトイプードルを抱いた、年齢は二十五、六と思わしき女性が申し訳なさそうに声をかけてきた。

 見覚えのないお顔で、予約も電話もなしの駆け込みだから、急患かと気が引き締まる。

 来院理由を聞いてみれば、新規のワクチン接種。

 ワクチンは、接種後に副作用が出る場合があるから、午前中に注射を打つことを勧めたけれど構わないって。

 香さんに視線を移すと頷くから、待合室にお通しした。
 
 閉院で施錠するのわかっているよね? 見ていたよね?
 ああ、今日も一日終わった、お疲れってなった心身を仕事モードに切り替えるかったるさ。

「こちらに、おかけください。恐れ入りますが、初めてのご来院ですので、こちらの問診票にご記入をお願いします。わかる範囲でけっこうです」

 中腰になり、安心してもらえるように微笑みかけた。

 私の心の中には天使さんが住んでいるから、オーナーの前ではいつでも優しく慈悲深く変われる。

 問診票を渡して薬棚の前に戻った。

 あなたは、仕事か家庭の事情か知らないけれど、この時間にしか来られない理由があるんでしょう。

 わかる、わかる。それは十分にわかっている。でも、病院の都合も考えてよ。

 いくら動物好きでも、これをやられると心底萎える。

 スタッフ一同、非常識と思っていると、よく認識しておいたほうがいいよ。
 新規さん、救急じゃないじゃん、今じゃなくてもいいじゃん。

 新規のオーナーは病院側に患畜の情報がまったくないから、さまざまな情報を得るために数枚にも及ぶ問診票を書いていただく。

 今、書いてもらっているそれのこと。

 その患畜の歴史を紐解くみたいな、それはそれは長い長い問診票を。

 オーナーが長く艶やかな黒髪を片耳にかけながら、ゆったり問診票に目を落とす。

 マイペースな動きにネジをぐるんぐるんに巻きたい。リモコンがあるのなら早送りしたい。

 問診票は、ゆっくりと読んでないでよ。読みながら、すらすらと早く書いてったら。

 あれもこれもトイプーちゃんのためだから我慢。

 ようやく薬棚の前にいる私に、香さんが問診票と新規作成のカルテを持って来てくれた。

 オーナーが池峰さん、二十八歳。患畜がノンネ、三歳の女の子。