笑顔を向けて、ゆっくりと話しかけて不安な気持ちに寄り添う。

 動物は言葉を発しなくても感情は伝わる。
 
 人間の赤ちゃんだって話せない。

 でも表情や声のトーンでおとなの気持ちを感じ取っているはず。動物だっておなじ。

 とにかく安心感を与えてあげたい気持ちで、そっと抱っこした。

 赤ちゃんをあやすように、軽く揺れたり抱きながら撫でて、言葉で安心させてスキンシップでも、大丈夫だよって伝えたい。

 モカが落ち着いた頃合いを見計らい、院長が声をかける。

「モカ、ちょっと先生に見せてね」

 凄く臆病な子。か細く小さな体で、どこからこんな野太い唸り声が出るの?
 院長の声と同時に震えながら威嚇してくる。

「そんなに唸らないでくれよ。俺だってモカが嫌なことはしたくない」

 一度、静かに院長が上体を後ろに軽く反らして、モカの様子を観察している。

「モカ、院長優しいよ。洗ってもらったら気持ち悪いのなくなるよ」

「少し、ちゅって洗うよ」

 唸り声の間隔が開き始めたところを見計らって、院長が瞼をめくる。

 結膜が充血して少し腫れているかな。

「モカ、いい子だな」

 束の間のおとなしさだった。すぐに、また唸り続ける。

「はい、はい、はい、はい、モカ怒らない。わかった、わかった、嫌ね、嫌ね、少しだから我慢ね」

 声をかけながら、院長の横顔をちらりと伏せ目で見た。

「モカ、これは痛かったな。今から洗って楽にしてあげるから」

 真剣に患部を診察していた真顔が、慈悲深い微笑みに変わり、左手に膿盆、右手に精製水の洗浄瓶を持って洗眼を施す。

「大丈夫、大丈夫、もうすぐだよ」
「いい子ね」
「そらまめの中、やっぱり砂ぼこりだらけだ」

 そらまめの形に似ているから、膿盆を院長みたいに呼ぶ人もいる。

「前のアニテクのときは四苦八苦で一苦労したのに、今日はモカいい子だな、お利口さんだった。終わりだよ」

 アニテクとは、アニマルヘルステクニシャンの略で動物看護師のこと。

 私たちは獣医師からアニテクと呼ばれることもある。

 目の前の光景に思わず吹き出してしまったら、前髪の隙間から覗かせる院長の瞳には、クエスチョンマークが飛び交っていた。

「すみません。院長、タオルでモカの目の周りを優しく拭いてくれてるのに」

 私の笑い声交りの笑顔につられて、院長の頬が微かに緩む。

「モカったら唸り続けてるんですもん。院長、かわいそうです」

「モカのためにしていることを、ことごとく否定されている気分だ」

 複雑な気持ちが苦笑いの表情に見え隠れしている。

 獣医は動物が大好きなのに、一番に動物に嫌われるのも獣医なんだもんね。