滞りなく一日の業務を終え、まっ先に大恩のケージの前に駆け寄り、しゃがみ込む。

「ごめんなさい、昨日は散歩に行けなくて。どうして気づいてあげられなかったの、ごめんね大恩」

 結局、今日もオーナーから連絡がこなかったね。

 大恩、どうして今夜はごはんを食べないの?
 いつものドライを食べないから缶詰めにしても食べないし、加熱した鶏肉も食べない。

 いったい、どうしちゃったの?

 試しに手のひらに乗せてあげてみた。それでも食べない。健康なのに、おかしいよ。

 ねえ、大恩。なにか感じているんじゃないの。

 もし、あなたが話せたら、たくさん話を聞いてあげられるのに。

 待機室にいる院長のところに行った。

「お疲れ様です」
「お疲れ様」
 院長が本棚の文献に手をかけながら、首だけ振り返る。

 今の私の顔は尋常じゃないのかな。伏せ目で私を見る表情が曇って心配そう。

「顔色が悪い、大丈夫か。ルカのことか」

「ルカのことも、とても落胆してます。覚悟は決めてたのに容体急変で呆気なく旅立ったので、頭の中も気持ちも混乱しそうです」

 生唾が出てきて気持ちが悪い。

「今日一日、何事もなかったように振る舞っていたが、精神的にきつかったのか」

 院長が検査台に腰を預けながら、ゆったりとしていたけれど前屈みになった。

「ルカのこともですが。そわそわ胸騒ぎがするんです。大恩がごはんを食べないんです。今も手のひらに乗せてあげてみましたが食べません。夕方も留守電なんですよね」

 なんかおかしい、体がおかしい。

「オーナーと大恩が気になって」

 目の前がぼやけてきた。目が回る、怖い、どうしよう。

 視野が黒く暗く狭くなってきた。深い深い闇に一瞬で落ちて行く。

 あれ、なにがあったの?

 初めて見る景色、起きないと。

 頭と体が、ふわふわと揺れた感覚で体が持ち上がらない。

「意識を取り戻したか」
「どこですか? 私はどうしたんですか」

「俺の部屋だ。突然、意識を失い倒れた。今は体の具合は?」

 ベッドに寝かされた私に、ソファーから話しかけてくる院長に向かって自信なく頷く。

「横になっていろ。まだ動くな」

「急に吐き気がして気持ちが悪くなって、目の前がぼやけてきて、そこから記憶が途切れてしまって」

「その症状は迷走神経反射の前触れだ。安心しろ、横になっていれば回復する。病気ではない」

「オーナーに電話は」
 院長が変わらないというように、俯きながら首を横に振る。

「ルカに大恩にと、今回は精神的に辛いことが重なってしまったな。ゆっくり休んだほうがいい」

 食べたいものを聞かれて食欲もなくて断ったら、なにかお腹に入れないとって細いうどんを茹でてくれた。

 つるつる喉ごしがよくて、食べやすかった。

 食後には栄養剤とビタミン剤と安定剤をくれた。

「今夜は、もう遅い。ここで朝まで眠るんだ。わかったな」

 精神的にも肉体的にも疲れが溜まって、この状況に甘えたまま起き上がれない。

 院長は言い残すと、ノインと大恩と走って来るって部屋を出て行った。

 散歩は、お預けになっちゃった。

 大恩のオーナーのタイムリミットは今日まで。

 明日には院長が閉院後に動き出すって。

 家に行っても、人の住んでいる気配がないし。その不安な心が顔に出ていたみたい。

 院長の『心配するな』が安心をくれた。 

 徐々に、頭の中や心や体が軽くなる感覚で目が閉じてきて、気持ちよく意識が遠のき、眠りに引き込まれていった。