「小川のときも、泣いては一部の人たちから、あれこれ言われることもあったのに耐えてました」

「大病院は、スタッフ一人ひとりに目をかけて、じっくりケアしてあげられない。ずいぶん辛い思いもしただろう」

 院長がゆっくりとグラスに口をつけた。

「ずっと、人に甘えたかったのかなって思います。院長には、自分の感情を爆発させてしまいました、信頼できる人だから」

 横を見たら、上体を少し私の方に向けている院長と目と目が合った。

「川瀬は気が強いから。小川院長のところでも心に溜めて頑張っていたんだろう。気づけたのなら甘えたいときは、俺に吐き出して甘えればいい」

 院長から、そんな言葉がもらえるなんて嘘でしょ。

「川瀬のことぐらい、いつでも受け止める度量はある」
 ライラを飲んだ目には、優しさが滲み出ていた。
「ありがとうございます」
 放心して院長の横顔から目が離せない。

「あと自分でも、よくわからないことがある」
 記憶を辿るみたいに、ぽつりぽつりと話し始める。

「以前の川瀬は、ふだん冷静に対処してしっかりしているのに、なぜか患畜が落ちる(死ぬ)と泣いていた」

 ライラに口をつけ、言葉を選んでいるのか沈黙が続いた。

「いつか、心身ともに潰れるんじゃないかと心配で、見ていられなかった。なぜそこまで心配するのか答えが出ない」

 難問を解くように首をひねったかと思えば、こちらに上体を向けてきて、訴えかける目つきをする。

「ただひとつ言えるのは、言い方がきつかったのは心配の裏返しであり、突き放した言動は愛情の裏返しだ。今だから明かす」

 安堵で小さく吐いた息には、温かな表情が浮かぶ。

 きつい言い方や突き放す言動に、腹が立ったり落ち込んだ。
 でも、それらはすべて私のことを想ってくれていたんだ。

 優しくないとか冷たいだなんて思った私は、つくづく幼稚で大馬鹿だったんだ。

「たくさん気づかせてくださって、ありがとうございます。今までの自分が恥ずかしいです」

「数多くの死を乗り越えて、働くことは容易ではない。でも、川瀬は動物の死を乗り越えた、自信をもて」

「動物看護師って? これから先も、ずっと見つからない答えを探し続けます。後悔しないためにも、目の前の患畜とオーナーと精いっぱい向き合っていきます」

「ひとりで背負うなよ、川瀬を預かることになりそうだ」
 自分で言うのもなんだけれど、院長が隠しきれない幸せな顔で微笑む。

 これまでは、近づいたと思えば離れていた院長との心の距離。

 今夜は、とても近くに院長を感じられた、温かな夜に幸せを感じた。