「なに話してたのよ」
「アネキには関係ない話だ」
「馬鹿ね、話を広げなさいよ」
「だいたい、アネキは」
「カウンターの美女の話はね」

 日課みたいな小競合いを、ここでするのはやめようと思ったのかな。

 院長の言葉にかぶせて、香さんが口を開いて、話の流れを変えた。

「この子が二十歳になったときだから、八年間ずっとセリフを叩き込んできたのよ。それが、ようやく今夜、使う日がきたのよ。悲願の八年、明彦、かっこよかったでしょ」

 ブラコン気味の香さんが、自分のことのように喜ぶけれど、院長の迫真な芝居に、まんまと騙されましたよ。

 しかし、一日に何回、明彦って言っているかな、いつか数えてみようかな。

「あっ、ちょっと明彦? 私に内緒で今まで、あのセリフ使ってないでしょうね?」
 きりりと睨む目が怖いよ。

 香さんの目力の迫力に、院長を見つめる私の瞳も強くなったかな。

「あんな、女ったらしの歯の浮くようなセリフを使うわけがないだろう、俺には不要だ」

「もうこれだもの、それはそれで姉としては複雑な心境。この子、大丈夫かしら」
 本気で心配みたい。

「同期の男としかBarになんか来ない。それも、付き合いで誘われて、獣医療の情報交換の場として使うだけだ」

 院長が、不愉快極まりない表情を浮かべて、ちらりと私の顔を見た。
 今のは伺ったの?

「あれれれ、それって誰かさんに弁解してる? だから心配するなって、遠回しに言ってるのバレてるわよ」

 香さんのいたずらっ子みたいな目が、院長をからかって楽しんでいるみたいに、くるくるよく動く。

「今のどこが弁解だ。男といたってBarは、色目を使い、周りに寄って来るから鬱陶しい」

「逆ナンってやつね。当然でしょ、明彦だもん」
「俺の話は、いい」

「明彦に寄ってくるのは、Barだけじゃないでしょ」
 鼻高々な顔で香さん嬉しそう。

 院長は、この容姿でクールじゃ女性が放っておくわけないか。

 ちらりと院長の顔を見てみれば、砂を噛むような不快な表情で不機嫌そう。

 渋い表情でさえかっこいいから、それはそれで周りに女性が寄ってくるでしょうし、美形の苦労は大変そう。

 しかし姉弟って不思議。

「いいな、姉弟喧嘩。私はひとりっ子なので、楽しそうで羨ましいです。すぐに、また元に戻って、いつも通りに話し始めて」

 前を向いて呟く感じで、どちらに話しかけるでもなく息を吐いた。
 右側で二人が顔を見合せているのが、なんとなく視界に入ってくる。

「あっと、ん、私が川瀬さんの姉になるわ。そうよ、それがいいわね」

「は?」
 院長の恐ろしく低い静かな声が、頬に突き刺さる。
 表情は見えないけれど、低音がいかにも不機嫌そう。

「センスがないジョークだ、馬鹿ばかしい」

「明彦くん、勘違いしないでください。私は義理の姉ではなく、実の姉になる気持ちで言いました、よろしく」

 香さんが、頭の回転が速い院長をやりこめた。

 しかも、いつも小競合いで院長が敬語を使うと、『ふざけないで』って叱る香さんが、敬語でやりこめた。

 状況が気になり、興味津々で視線を二人に馳せる。

「あなたには、わからないの? 川瀬さんは寂しいのよ、馬っ鹿じゃないの」

 馬鹿の“ば”に、きついアクセントがついて、さすがの院長も太刀打ちできないかな。

「もう一度言うわよ」
「なにをだ?」

「私は、川瀬さんの義理の姉じゃなくて、実の姉になる気持ちで言ったのに、動揺しちゃって勘違い」