「さっきパルボのルントという男の子が落ちた(死んだ)んです。最初に他院に連れて行ったら、パルボって診断されたって」

「受診拒否か」
「それで、うちに来院したんです」

「パルボの感染力の強さに、受け入れは危険と判断して受診拒否する病院、たまにあるよな」

「生きるか死ぬかで、力なくぐったりている子犬が、目の前で横たわってるんですよ。よく見捨てられますよね」
 信じられなくて、悔しくて唇を噛み締める。

「一頭のパルボを受け入れたことで、他の多数の患畜の命を落とせば、動物病院の経営に甚大な被害を及ぼすし、信頼もなくす」

 それは、わかる、だからって。

「受け入れなければ、その危険はないから、リスクを避けるのは理に適ってる」

 間違いではないけれど、納得はできない。

「受診拒否も受け入れも、どちらが正解なんてわからない。病院の経営方針でどっちも正解だ。俺だったら、全責任を背負うから、食ってかかってでも受け入れる」 

 海知先生なら、受け入れると確信していた。

「早期発見が重要なのに。そこの病院で処置してくれてたら助かった命かもしれないのに。悔やんでも悔やみきれません」

「わかるよ、その無力感、悔しいよな。でも俺たちの世界は、たらればを言っても仕方ない」

 ルントにも自信を持って言える。最善を尽くし、今できる限りの力をすべて出し切ったと。
 それでも自責の念に駆られる。

「事実は、もう覆せないんだ。身を呈して命の大切さを教えてくれた子たちから学んで、先に進まなきゃ」

 黙って大きく頷く。それは私もわかっている。

「手遅れにしたのは他院なのに、院長は自分が助けてあげられなかったって言うんです。他院のことを責めたり、いっさい文句を言わないんです」

 院長が不本意な結果に悔やみきれずに、唇を噛んだ気持ちを察して、つい語気が強くなる。

「獣医師としてのプライドがある、そんな言い訳はしない。それに、悔しい想いをぶつけるのは、他者にじゃなく自分自身にだ」

 院長の代弁者みたいに、海知先生の眼差しは鋭い。

「部屋を出て行く背中が無念で悔しいって言ってるみたいで、とても寂しそうで。かける言葉がなかったです」 

「いつも川瀬が泣く理由は、患畜に気持ちが入り込みすぎてだった。でも今回は違う。院長のために怒りや無念や寂しさを、あらわにして。お前、そこまで」

 なにか言いたげな口もとが言葉を止め、少し間が空いて口を開いた。

「お前は自分のことよりも、人のことを思いやって心配してあげられるのに、どうして自身を大切にしてあげられないんだ」

 言いかけたこととは違う言葉を発したみたい。それでも澄んだ優しい声が、心に染み渡る。

「また自分を責めてるんだろ? 助けられなかったって、院長の役にも立てなかったって」

 涙ぐみそうになって唇を噛みしめる。ルントに顔向けできる自信はあるのに、複雑な想いが交錯する。

「無念はわかる。でも頑張った自分を責めるなよ。川瀬が必死に命をつなぎ止めようとした想いや、最善を尽くした努力はルントに届いてる、ありがとうって」