緊急事態のために外来診察が遅れて、お待たせしてしまう旨を、待合室のオーナーたちに伝える香さんは、人当たりがいいふわりとした笑顔で、オーナーへの応対をしている。

 血検の結果待ちの院長は、外来診察を再開して香さんが助手についた。

 パルボの処置は、一刻を争う時間との勝負。

 早く確実に処置を進めていかないと、命に関わるから、急いで血検をして、結果を院長に渡して指示通り二階に行った。

 しばらくすると、外来が途切れた院長が駆けつけてケージを開ける。

「ルントの様子はどうだ?」
「胃が空みたいで嘔吐物が黄色の胆汁です。お腹の下りには血液が混じってました」

 聴診器をあて終えた院長が、振り向いて微笑む。

「川瀬、笑え。動物は繊細だから、人間の表情や声のトーンで敏感に察する。笑ってルントを安心させてあげろ」

 ゆったりと微笑む優しい瞳が、私からルントに移り中腰になってルントを見つめる。

「ルント、いい子だな。いいか、先生のここを見て」
 院長は人差し指を立てて、ゆっくりと左右に動かす。

「注視能力低下。目の焦点が合わなくて、うつろだ」

  その日の夕方、閉院直後にルントの容体が急変した。

 すぐに一階の院長に報告して、救命処置に使う機器を診察台の脇にセットしていたら、階段を勢いよく駆け上がって来た院長が、私の隣をすり抜け、隔離室からルントを診察台に連れて来た。

「突然の意識低下、舌にはチアノーゼが見られます」
 頷く院長が舌を確認する。

「呼吸数の増減、明らかな呼吸のリズムの変化、脈が弱い」

 小さな命を、懸命につないでいる院長の間隙を縫うように、胸部をアルコールで清拭して心電図の電極を装着する。

 心電図の波形の解析評価のために、じっとモニターを見ていた院長が、意識不明の原因をつきとめた。

 その数十分後、モニター心電図の波形が一直線になり、無機質な電子音が鳴り響く。

「脈拍、心拍、血圧、測定不能。心肺停止、心肺蘇生開始」
「はい」
 心臓に電気ショックを与え始める。

「とにかくなんとかしなければ」
 唇を噛み締める真剣な横顔が、一瞬視線を飛ばしてきて微笑む。

「川瀬、諦めるな、これからだ」
 両方の口角を上げて大きく頷き、私を安心させる。

「ルント、まだ生まれてきたばかりじゃないか。ここからは俺とルント、男同士の踏ん張りどころだ」

 ゆったりとルントに微笑みかける院長が心肺蘇生を続けて、あらゆる情報から原因を特定した。