自動車に乗ってからも、流れる景色を見る暇もないくらいに院長と話していた。

 少しして流れる景色がゆっくりに見えてきて、院長の濁りのない低い声が心地よく耳に入って、とっても気持ちよくなった。

 しばらくして気がついたら、院長のグレーのシャツが私の首もとから、温かく包み込んでくれている。

 小さな伸びをしてシャツを抱き締めた。院長が、かけてくれたんだ。

 さっきまで日射しがあったのに、車窓からの景色が薄暗い。
「おはよう」
「また眠ってしまいましたか。運転していただいてるのに、すみません」
「構わない、朝が早かったから疲れただろう」

「凄く寝心地がいいんです。院長といると凄くよく眠れます」
 私の言葉に左側から一瞬、視線を送ってきた。

「窓ガラスに額を押しつけて、流れていく夕陽に染まった景色を見つめながら、よく喋っていた」
 きれいな夕陽を見ていたのは覚えている。

「急におとなしくなったと思ったら、そのまま寝ていた」
 クックッと喉の奥から押し出されるような笑い声で、院長が肩を震わせる。

「ホルダーのお茶を飲め」
 運転をしながら、顎で合図をしてきた。
「ありがとうございます、いただきます」
「お腹は?」
「まだいっぱいです」
「それなら、このまま送って行く」

 ずっと楽しい一日を過ごしたから、急にひとりになると、もの凄い寂しさに襲われる。

 夜の暗さが、さらに寂しさに拍車をかける。
「寂しそうな顔をして。ノインたちに逢わせてあげたいが、川瀬は疲れているから今日はこのまま送る」

「次は?」
「またスクラブの色が、かぶったら。かぶるのが楽しいんだろう」
「はい、楽しみに待ってます」

 嬉しいって目が輝いているかな。でも、あれだけ色がたくさんあるからスクラブの色が、かぶるなんて確率は低いね。

 もう、こんなに楽しかった日はないかも。膝の上で握る小さなお茶のペットボトルを見つめた。

「大切な命を預かり、毎日が動物の死と隣り合わせの仕事は、心身ともに負担が重くのしかかる。特に川瀬は、たまにはストレス解消をしてガス抜きをしないと、身がもたない」

「心配してくださってありがとうございます」
「うちの大切なスタッフだ。休まれたら病院が回らない」
「はい」
 そうよ、私はスタッフなんだった。スタッフとして頑張らなくちゃいけない。

「賭けに勝って嬉しかったです。今日はありがとうございます、楽しかったです」
「嬉しかったのは、賭けに勝ったことだけなのか」
「はい」

 院長にとって私はスタッフ。それ以上の気持ちは迷惑になるだけだから言ってはいけないと思う。
 だから心とは裏腹なことを言ってしまった。