だからいつも言ってたじゃない。

「おじちゃん、ちゃんとして!」

って。
靴下は裏返し、爪切りはその辺に置きっぱなし、飲み切った牛乳パックも洗っておいてくれない。
おじちゃんは何回言ってもへらへら笑って、

「ああ、ごめん、ごめん」

と反省しない。

「おじちゃん、食べたお皿は水につけておいてね。またネクタイ曲がってる。ちゃんと会社行くんだよ! じゃあ行ってきまーす!」

「はいはい、行ってらっしゃい。車と知らない人に気を付けるんだよー。桜大根あげるって言われても、付いて行っちゃダメだからねー」

赤いランドセルをカタカタさせて家を飛び出すわたしを、おじちゃんは毎朝玄関で、寝ぼけまなこのまま見送ってくれた。

あの頃のわたしは、わたしがいないとおじちゃんはゴミに埋もれて死んでしまうと思ってた。
ゴミの日には、間違っておじちゃんを袋の中に入れてないかって、一瞬頭をよぎるほど。
あまりに心配だから、わたしは修学旅行には行きませんって先生に言って、おじちゃんはものすごく慌てたっけ。

「大丈夫だって、若葉。ほんの二泊三日じゃないか。それくらいなら俺だってなんとでもできる」

「本当?」

「掃除も洗濯もしなくたって三日じゃ埋もれたりしないよ。ご飯は買って食べればいい」

「ネクタイはひとりでできる?」

「曲がってたって仕事はできる」

「朝は? 起きられる?」

「それは……がんばるよ。だいたい、若葉が来るまではひとり暮らししてたんだよ? だから安心して行っておいで。お土産買ってきてね」

毎晩おじちゃんに電話するわたしを、クラスの子はホームシックだとバカにして、ちょっと言い合いにもなった。

「若葉ちゃんはおじさんと住んでるの?」

事情を知らない子からはよく聞かれる質問だった。

「うん。小さい頃にお母さんが死んじゃって、おばさんに引き取られたの」

「そっか。……大変だね」

「ううん。大丈夫」

嘘ではないけれど、大きく事実とは異なることをその後もわたしは言い続けた。

シングルマザーだった母が五歳のとき亡くなったのは本当。
わたしの身寄りは施設に入っている祖母と、母の妹である葉子おばちゃんだけだったのも、だから葉子おばちゃんに引き取られたのも本当。
そしておばちゃんと暮らした二年の間に、わたしは“おじちゃん”と出会った。