「あれ、閣下、どこか行かれるんですか」

宮殿内の中庭で銀色に輝く甲冑を見つけたハルトは食堂へ向かう足を止めた。
白亜の要塞と名高いシュハイツ宮殿の白い回廊から抜け出し、庭のほうへと向かう。今は盛りのチジの花が、黄色い小さな花を風に揺らしていた。

ハルトの声に気付いた銀鎧の男が、陽気に手を上げる。
兜に覆われた顔は見えないが、その表情が仕種と同様、清清しい笑顔を浮かべているのをハルトは知っている。

とはいえ、彼――軍国家シュハイツの第二皇子であるセイトラムが通常時にこの全身鎧をつけているのは珍しい。この鎧は、他国との戦時かゴーレム討伐などの古代遺産を殲滅しに行くときしか身につけないと知っていた。そしてこの鎧を使用できるのは、セイトラムだけだということも。

「珍しいですね。宮殿内をその姿で歩くなんて」

素直に疑問を口にした若き宰相見習いは、セイトラムの手が剣までをも握っているのに気が付いた。その剣は祭事用のものではなく、間違いなく実践用のセイトラムの愛剣である。

ハルトの戸惑いに気付いたのか、セイトラムは小さく肩を竦めた。硬い鎧が、がしゃりと鳴く。

「私にもよく解らないのだが、今日は朝からこの姿でいなくてはならない気がしてね」

低い声音は、御年二十歳とは思えぬほど落ち着いている。ハルトも背が低いほうではないが、セイトラムはその頭ひとつぶんは高い男だった。更に鍛え抜かれた体躯は逞しく、王族として洗練された仕草も相まって、妙な神聖さを醸し出している。

「神の啓示でしょうか」
「さあ。……感覚的には、召喚されるときのものと似ている気もするのだが」
「閣下を召喚?そんなことができるのは、創造神であるペト神だけでしょう」

召喚カードが存在するこの世界で、セイトラムは間違いなくモンスター級のカードに値する。なにより、王族であるということが召喚カードの摂理から彼を弾いているといってもいい。
セイトラムを呼び出すだけの魔力を持った者が例え存在したとして、王族であるセイトラムを使うなど不敬も甚だしい、というわけだ。召喚カードを開発した魔術研究塔では、召喚カードに志願した者だけを召喚できるシステムを導入している。契約者の数、内容、報酬はその者によりけりだが、自ら志願した者が契約者に召喚され、依頼された仕事をこなす、ということになっている。その場合、力の均衡は召喚カード側が上であり、契約者が下という力関係にある。不当な仕事内容を強制されないためのものであるが。それを逆手に悪事を働く召喚カード側も後を絶たない。召喚カードにするための精査を潜り抜け、犯罪を犯す者も少なくは無いのだ。とはいえ、召喚カードを使用するにあたり最低でもそれなりの魔力を要するため、平民たちの乱用は今のところ起こっていない。先の犯罪も、なんとか召喚術取り締まり局で収拾がつく範囲内だ。

話は逸れたが、召喚カードはあくまで志願者のみで構成されている。召喚する、されるには、本人の真の姿と、真名が必要になってくる。そのため、召喚カードは万人の手に渡るが、召喚される側の人間は魔術研究塔に登録されている者だけに限るのだ。
つまり、召喚カードに登録しているならばモンスター級であるセイトラムだが、王族である彼が誰かに呼び出されることなど皆無なのである。
それなのに、ハルトの目の前に立つセイトラムはおかしなことをいう。

「起きたときから産毛がぴりぴり逆立って妙な気分が続いている。落ち着かないから、この姿のまま鍛錬にでも出ようと思っていた」

産毛がぴりぴり――それは召喚される側がよく使う表現だ。なにが作用しているのかしらないが、召喚カード側の人間は、今日呼び出される、ということがなんとなく解るという。正確な時間はわからない。ただ漠然と、今日は呼び出されそうだな、と思うらしい。
遠くにいる誰かに呼ばれているような、そんな感覚が襲うのだという。
それを、王族であるセイトラムは感じているという。

「しかし閣下、閣下を呼び出すなど、不可能でしょう」

ハルトが笑ってそう言ったときだった。
花の盛りの庭を映していた視界が、焼きついたように白くなり、黒い斑点が現れた。

セイトラムの足元から、眩いばかりの光が生み出されたのだ。
その光の洪水はやがて一本の線となり、セイトラムを中心に、巨大な魔方陣が描かれる――。

それを認めた瞬間、セイトラムはハルトの体を突き飛ばした。
あまりに巨大な魔方陣は、ハルトまで飲み込む位置に達していた。もしなにか不備があれば、中心に位置していないハルトは魔術の渦に飲み込まれ肉体と魂を引きちぎられてしまう。

「閣下!」

魔方陣の外に突き飛ばされたハルトが叫ぶと同時に、セイトラムの姿が魔方陣と共に消えた。

残された庭では、何事もなかったかのようにチジの花が風に揺れていた。