掌が触れるゴーレムの肌は冷たかった。
この灼熱の地で、どうしてセトの鎧といいゴーレムといい、ひんやりが保てているのか。
魔法魔法といわれても、一体どんな魔法が作用しているのかなんてわからない。特にゴーレムの冷たさは、鍾乳洞に入ったときのような冷たさに似ていた。
直接触れる前から、ひんやりとした冷気が漂ってくる。

「……どうして食べないの?私の言葉わかるの?」

とりあえず訊いてみたが、ゴーレムは応えなかった。
とはいえ、千明をその硬い掌に乗せたり、先ほどのように頷いたりと、やはり意思は通じているらしい。

「……えーと」

とりあえず迷って、千明はセトを振り返った。
セトは特にどこを負傷したという様子もなく、千明とゴーレムをじっと地面から見上げている。
これからどうしたらいい?と視線で訴えると、とりあえず降りて来い、と低い声が返ってきた。


「……どういうことだ」

そしてこれである。

「……どういうこととは」

セトのぼそりとした呟きに、千明は戦々恐々と答えた。
先ほどから、セトの機嫌があまりよろしくない。
原因は恐らく、後ろに控えているゴーレムだろうが、それのなにがセトの怒りに触れたのか、よくわからなかった。ゴーレムはセトと千明の背後で大人しく〝待て〟の体勢をとっている。
そして今、そんなゴーレムの巨大な影で涼を取りながら、セトと千明は砂の上に厚めの絨毯を敷き、昼食をとっていた。

「どうして、ゴーレムがお前に従う」

昨日も食べた簡易食のクッキーを齧りながら、セトは赤い砂を睨みつけている。

「どうしてといわれても」

そんなこと、千明に解るわけがない。

「ゴーレムは、古代文明の負の遺産といわれてきた。いつどこに出没するかも曖昧で、一度出没すれば、付近の人間、獣、建物、自然をなぎ倒す。あとには焼け野原か荒野が残るだけだ」

そんな代物が、千明のような小娘に、何故?
セトの疑問は千明当人にも納得のいくものだった。むしろ、セトの疑問は千明の疑問でもある。
とはいえ、千明には、さあ、どうしてだろう?としか答えられない。

「……なんでだろうね」

なので、千明はクッキーを齧りながらそう答えた。
千明としては、なんだか新しいお友達ができたみたいでちょっと嬉しい。
この世界の全生物から魔力のない体を付けねらわれるというショッキングな出来事の直後だったからか、自分に敵意を持たないゴーレムの存在が、なんだか妙にくすぐったかった。
そんな千明の能天気を見透かしてか、セトの鋭い視線が向けられる。
もしゃもしゃとクッキーを貪りながら、千明はその視線を真っ向から受け止めた。受け止めざるをえなかった。

「お前な、もうちょっと危機感を……」

口にしたはいいが、セトは諦めたように言葉を切った。
千明がまだ十代の、それもこの世界の知識など皆無に近い異邦人だと思い出したからだ。
この世界にとってゴーレムがいかに脅威か、そのゴーレムを操れるかもしれない存在がいかに危険な存在か、千明が即座に考え付くわけもない。
聞けば、命のやりとりなどとは程遠い世界から飛んできたという。そんな千明に、自分がいかほどの危険人物であるのか言い聞かせたところで、頭では納得できても真に理解できるはずもない。
平和ボケしている千明に苛立ちも募るが、千明が悪いわけではない。
ちらりと背後を窺うと、巨大なゴーレムは先程と寸分変わらぬ体勢で大人しくしている。
こんな静かなゴーレムなど、見たこともない。

「……クソ」

千明に言い聞かせるのをやめて、その鬱憤を飲み込むようにセトはクッキーを飲み込んだ。

そんなセトに、千明は訳もわからず責められているような気分になって、こちらも小さくクッキーを飲み込む。
そうして、二枚目のクッキーを手に取りながら、体育座りをしている自分の膝をじっと見つめた。

(セトはなにを怒っているのだろうか……)

考えたところでわからないが、自分が能天気にゴーレムの存在を喜んでいるところが、気に喰わないのかもしれない。
セトにしてみれば、命がけで闘った相手だ。その相手が、自分に従順だからとあっさり気を許してしまった千明のぼけっぷりが、むかつくのかもしれなかった。
えーと。

「……ごめんなさい」

考えて、出た言葉はそれだった。
思わぬ謝罪に、セトも面食らったように千明を見ている。
その視線を受けながら、千明は益々縮こまって、自分の顔に膝を引き寄せた。

「本当は、すごく不安だったんだ。お母さんともお父さんとも、友達とも引き離されて、もう二度と会えないって、日本に帰れないって言われて、……すごく、怖かった」

自分は、セトと眺めた星空の中の一粒だ。
星々は地上から見ればそこらじゅうに存在するけれど、決してそれらの距離が縮まることはない。真っ黒な空間に、ひとりぼっちで、遠いのか近いのか、存在しているのかいないのかもわからない同胞を夢見て、孤独を噛み締める。

「……その上、この世界では皆が持ってる魔力も持たないし、そのせいで、ぬるぬるのミミズや大きな熊には襲われそうになるし、……セトがいなかったらきっと、最初のチンアナゴに食べられて、私の人生終わってた」

セトはチンアナゴという単語が猛烈に気になったが、ここはさすがに空気を読んで黙って続きを聞くことにした。

「それでも、助かっても、まだ怖かった。この世界に、私を受け入れてくれる人や場所なんてないんじゃないか、私はずっと独りで、死ぬまで独りで、例えばこの世界で新しい家族を持てたとしても、この世界の人間じゃないってことが負い目になって、心の底から安心できる日なんてこないんじゃないかって」

誰かが喩え隣にいても、その孤独は消えない。
それはきっと、どうしようもない種類の感情だ。
誰かと笑い会っているときはそれを感じなくても、ふとした瞬間に、千明の足元を襲う。

「……考え出すと、とまらないの。今はまだこの世界に慣れることでいっぱいいっぱいだけど、ふと落ち着いたときに、独りぼっちのこの寂しさに押さえ込まれて、頭がおかしくなっちゃうんじゃないかって」

千明はとうとう、膝に顔を埋めた。

「でも、それでも、セトがいてくれて、嬉しかった。セトがいなかったら、私はきっと今こうして生きていないし、このゴーレムみたいに、私の話を聞いて、無条件で受け入れてくれる相手にも出会ってなかった。セトが私を生かしてくれて、お陰でこのゴーレムと出会えて、なんだかそれが、……自分でもよくわからないくらい、嬉しかった」

喩えカードから現れた騎士であろうとも、セトがいなければ、千明は生きていなかった。
セトは千明に軽口をたたき、水を与え、保護し、星の名前も教えてくれた。
短い期間だが、それがどれだけの安堵と前向きな気持ちを千明に与えたか、きっと千明じゃないとわからない。

「カードから出てきてくれたのが、セトでよかった……」

ゴーレムへの言い訳から、訳のわからない話で終わってしまった。決して、セトの機嫌を取ろうとしたわけではなかったのだが、まるでご機嫌伺いのようではないか。
とはいえ、ひっくひっくと肩を震わせて泣いている千明を前に、セトがそう悪く受け取るはずもなかった。
ほだされた感満載で、セトは苦笑する。

「……お前に怒ってるわけじゃねえよ」

きっと、この馬鹿正直でお人よしな千明を魔手から守る方法が、自国シュバイツに縛り付けるしか方法が思い浮かばない自分にも、それ以外を許さない状況にも腹を立てていたのだ。

「泣くな、馬鹿」

セトの甲冑に覆われた手が、千明の頭を撫でた。
ほら、こうして慰めてくれる人がいることがどれだけの救いであるが、やっぱり千明以外にはわからないだろうと思う。

鼻を啜りながら泣く千明と、その頭を黙って撫でるセトを、ゴーレムはただ静かに、物音ひとつ立てず、見守っていた。