ごーれむだ。
千明は口の中で呟いた言葉が、大きな地響きに掻き消されるのを聞いていた。



砂都にあと少しで着く、という頃になって、セトが急に慎重な動きをするようになった。
最初はあまり気にならなかったが、何もないところでふと立ち止まったかと思えば、警戒するように周囲を見渡し、また歩き始める。あるときは急に方向転換して、随分な大回りをしてからまた元の進路に戻る、といようなことを何回か繰り返していた。

「なにしてるの?」

大回りを何度か経て、千明の体力がだいぶ削られた。とはいえ、セトが意味もなくそう言ったことをしているとは思わないので、素直に疑問を口にする。

「この辺りはゴーレムの出没率が高いからな、気配なく地中から出てきやがるから、警戒してんだよ」

返ってきた言葉に、千明はへええええと内心で感心した。
本当に出てこられたら困るが、セトとの話題にも上ったゴーレムとやらを見てみた。

(うわ、本格ファンタジーみたいだ)

みたいではなくまさしくその通りなのだが、千明は胸のわくわくが止められなかった。

「てめえ、まさかわくわくしてんじゃねえだろうな」

ふと振り返ったセトに兜越しに睨まれ、千明はへらりと笑い返す。

「言っただろうが。奴らは生物全て敵と見なしてやがる。てめえがペト神の加護つきだろうと、関係なく襲ってきやがるぞ」

脅されるように言い聞かせられるが、そうは言われても、千明にとってこの世界の生物すべてが敵なのだと聞かされたばかりである。ペト神の加護がなんぼのもんじゃい。
なにより、この世界にきての最大の修羅場といったら最初の餓死寸前の何日かと、チンアナゴに眼をつけられたことくらいだ。グレアムに関しては結局セトに助けられて事なきをえたし、チンアナゴからも助けてもらった。
千明がこの世界の生物の恐ろしさを実感するには、まだいろいろと足りていない。
元々平和な日本で育ったこともあり、危機感にいまいち欠けているのだ。それは千明自身も自覚していたが、わくわくするものはしてしまうのだから仕方がない。

「ちょっとわくわくはしたけど、遭いたいわけじゃないよ」
「わくわくすんなっつうんだよ。最大級のゴーレムが出たら、俺でもやばいんだぞ」

へらへらして弁解する千明にセトが詰め寄る。
元々の高身長が鎧を着込んで迫ってくると大層な迫力である。
最大級のゴーレムはセトの何倍くらいあるのだろうか、と千明が暢気に考えたときだった。


――ゴッ……。

ずるり、と足元が崩れるような感覚があった。
まるで自分が瓦の上に立っていて、その瓦が一枚ずつずれ落ちていくような、そんな感覚。
セトが風のように振り返り、千明の腕を掴む。

「……てめえが呼んだんじゃねえだろうな」

低く唸られて、千明は目の前に現れた〝それ〟に眼を奪われた。
口の中で呟いた、〝ごーれむだ〟は、地響きと共に掻き消えた。


ゴ……ゴゴ……。

それは岩や石を擦るような音と共に地中から現れた。
本当に、なんの気配もなく、まるではじめからそこに埋まっていたかのように、それは現れたのだ。
全長何メートルだ。正直解らない。ただ、東京タワーの半分くらいありそう、という大きさだった。
なんだそれでっけえ、と千明はやはりそれに眼を奪われたまま思った。
ただし東京タワーのようにスリムではない。
姿形は、千明が想像していたものと大差ないように思えた。
ごつごつした岩が、確かに人の姿をしている。五寸釘を刺すあの人形が岩でてきているような、とてもシンプルな形をしていた。ただしその巨大な手にはきちんと指が五本あり、顔に眼はないが、口のような亀裂はあった。

(あそこで食べるのだろうか……)

突如として現れたゴーレムに、千明は完全に眼を奪われていた。
千明の前に立つセトが身構えるように腰を低くし、チンアナゴをまっぷたつにしたあの巨大な剣を鞘から抜く。とんでもなく重そうな大きさなのに、まるでそうは見えない扱い方が、セトの強さを物語っているようだった。

「とりあえず、間を取る。お前は今来た道を全力で引き返せ!」

言われて、え、と思う間もなくゴーレムの手が伸びてきた。
その巨大な手で太陽が遮られ、影が落ちる。

「うわ!」

一声叫んだ千明を脇に抱え、セトは真横に跳んだ。
つい先ほどまでふたりが立っていた場所に、ズンッと重い手が届く。
そのあまりの大きさに、千明の顔から血の気が引く。

「いけ!」

セトが千明の体を後ろへと押しやり、千明はそれに圧されるようにして慌てて身を翻して逃げた。
がくがくと脚が震えたが、それどころではない。
とにかく走るが、後ろから聞こえてくる地響きが気になって仕方がない。

「セト、怪我しないで!」

とりあえず走って前を向いたまま心配してみる。

「うるせえ!いいからさっさと走れミンチにされてえのか愚図!」

と怒鳴り返された。こわい。ゴーレムも怖いが、セトもこわい。
千明は後ろが死ぬほど気になったが、とにかく言われたとおりに必死で走ることにした。
この辺りは砂が柔らかくて走りにくい。何度も足を取られそうになりながら、背後で響くゴーレムの唸り声のような地響きと、ギンギィンと岩を剣が削る音に冷や汗を流す。

(どうしよう、セトがあの大きな手に捕まったら。どうしよう、セトが食べられたら)

走りながら何度か転んで、それでもすぐに起き上がって走り続けた。
千明の中は、先ほどの暢気さが考えられないほどの不安に襲われている。

(あんな硬くて大きな手に握りつぶされたら、いくらセトでも風船みたいにパンって破裂しちゃう。どうしよう、どうしよう――)

セトがこんな危険な目に遭っているのは千明のせいだ。
千明が召喚カードを使ってセトをこの世界に呼び出した。

(どうしよう、どうしよう)

胸元の召喚カードをぎゅっと握り締めてはみるが、反応がない。
セトをカードの中に還すことはできないのだろうか。そういえばまだ対価も支払っていない。ということはやっぱり還せない――。
いくらセトが強いとは言っても、なにが勝敗を決するか解らない。そしてこの勝敗は、生死に関わることだ。

「セ、ト」

どうしよう、と何もできない頭で考えるしかなかった。
セトがいなくなったらどうしよう。セトが死んだらどうしよう。セトが。
まだ出会って数日の鎧男に、随分と懐いていると思わなくもない。ただそれでも、セトは千明とこの世界を繋げる楔だった。
セトがいるから、今は独りじゃないから、千明はなんとかこの世界でやっていこうと思えている。

そんなセトが、死んでしまったら――?



そのとき、後ろで耳をつんざくような音が聞こえた。
まるで超音波のような音だった。鼓膜を突き刺し、眼球の裏の神経をビリビリと痺れる。
ゴーレムの仕業だろうか。
まさかあんな岩の塊にそんな奇怪音が出せるなんて聞いてない。
音のせいか、脚にまで力が入らなくなっている。ぶるぶると震える脚になんとか力を入れて倒れるのは堪えるが、もっと嫌な予感に襲われる。
それなりに離れていた千明でさえこうなのだ。
ゴーレムの近距離にいるセトは?
千明の顔色が完全に青くなったとき、セトの罵るような声が聞こえてきた。
なんて言ったかははっきり解らなかった。
くそ、だかふざけんな、だか、とにかくそういった類の言葉だった。
それを耳にした瞬間、千明は震える自身の太腿を殴りつけて、また走り出した。
今度は反対側ではなく、ゴーレムとセトがいる方向へと。



「おいざけんな愚図!帰ってくんじゃねえ!」

セトがいち早く千明の動向に気付き叫んだ。
千明からはセトがどこにいるか解らなかった。
だがその声で、セトがどこにいるか、なにに捕まれているか――気付く。

「セト!」

息切れして走りながら叫んだそれは悲鳴のようだった。
セトは今まさに、ゴーレムの手に握りこまれ、潰されそうになっていた。

「馬鹿野郎!逃げろって言っただろうが!てめえがいると――」

セトがなにか言いかけたが、ゴーレムが五月蠅い蝿でも吹き飛ばすようにセトの小さな体を放り投げた。

「セト!」

また金切り声の悲鳴が口から飛び出た。
握りつぶされるよりはマシかもしれないが、あんな高さから地面に叩きつけられたら、いくら砂が柔らかい砂漠でもそれなりのダメージを喰らうかもしれない。それに、手に握られていたときに骨折でもしていたら、その痛みはどれほどだろう。
千明がゴーレムとセトに近付くより早く、セトの体が地面に叩きつけられる。
千明はそちらに向かって、今度は疲労で震えだした脚を叱咤して走った。
風に煽られてマントのフードが外れ、直接頭皮に当たる陽射しが痛い。じりじりと皮膚を焼く光が、痛みを齎す。
赤い砂の間に、銀色の鎧が動いているのが見えた。

(生きてる!)

ひく、と泣きそうになったが、それを圧し留めてひたすら走った。
逃げたときに結構な距離を稼いでいたのか、走っても走ってもセトが遠い。

「っかやろうが……」

セトが自分に向かって走ってくる千明を認めて、脇腹を押さえながら忌々しげに吐き出した。

怪我をしている――。

脇腹を押さえて、起き上がろうにも起き上がれないセトを認めて、千明は頭が真っ白になった。
やはり骨折でもしているのか。まさか内臓破裂?
どちらにせよ、あの体ではセトは逃げられない。
セトの目の前には、ゴーレムが迫っている。


「セト!」

叫びながら必死で叫ぶが、セトのところに駆けつけたからといって千明にはなんの力もない。だからこそセトを呼んでセトに頼ってセトに助けられていたのに。

(どうしよう、どうやってセトを助けよう、どうしたら――)

その間にもゴーレムの手がセトに伸びる。
セトは剣を盾のようにして応戦しようとするが、何故か躊躇しているようだった。

ゴーレムの手が、セトに届く――。

「セト!」

千明は間一髪で、その間に滑り込むようにして立った。
無力でちびな千明が、セトを後ろに庇う形で立ち、守るように両手を広げる。
目の前に、太陽さえも遮る巨大なゴーレムがいる。
セトに手を伸ばしていたため、まるで覆うような体勢で、千明の前にそれはいた。

「……っ」

でかい。
こわい。
踏ん張った両足が、今度は恐ろしさで震え始めた。

「……ばかが」

セトの罵声が届いたが、声は擦れていた。怪我が思っていた以上に酷いらしい。
千明は瞳のないゴーレムの顔を見上げながら、震える声で叫んだ。

「私が見えてる?私、美味しいよ、食べるなら私にしなよ!」

グレアムのように、セトより全く魔力のない千明のほうに喰いついてくれたら、セトはなんとか助かるかもしれない。
千明はぶるぶる震える体で、ゴーレムを真っ直ぐ見据えた。

こわい。
逃げたい。
どうしよう。

心臓が口から飛び出しそうな感覚をいうものを、初めて味わった気がする。
ばくばくと跳ね上がる心臓の存在感が膨れ上がって、脳みそまで脈打っているように感じる。