イト、コルト、ミット、ヒントゥ、ソワ。
星の名前だという。
魔法で火を起こしながら、セトと千明は空を見上げて星座を読んでいた。

「あそこに一番目立つグリーンの星があるだろ。あれがセプト、旅人の星だ。とりあえずあれを目指していけば、どの季節でもどこからしらの街には着く」

言われて見上げた先には、確かに一際輝くグリーンの星が見えた。日本で言う北極星のようなものなのだろう。この零れそうなほど沢山の星が輝く夜空においても、一番の輝きを誇っている。

「ここに月はないの?おっきくて白くて丸い星」

千明は親指と人差し指で丸を作って見せたが、セトは訳がわからんと一蹴した。

「んなでけえのが浮いてたら、星が読めねえだろうが。お前のとこにはそんなもんがあるのか」

月という存在に、素直に驚いているらしい。
こちらの常識がセトにとって非常識、それはイコール、千明にとっての非常識がこの世界の常識ということだ。考えるとちょっと面白かった。

「そんなにぎらぎらしてるわけじゃないよ。満ち欠けがあって、新月には目に見えなくなるんだ。ウサギとかぐや姫が住んでるんだよ」

説明はしたが、やはりセトは首を傾げるだけだった。
まあいいや、と千明はもう一度習った星の名前を順に繰り返していく。
天の川がそこらじゅうにあるような夜空は、見上げていて涙が出てくるほど綺麗だった。
昨日は夜空を眺める余裕もなかったから、尚更だ。


イト、コルト、ミット、ヒントゥ、ソワ……。
正直、名前を今覚えられても明日にはどの星がどの星だか解らなくなっている自信はあったが、聞きなれない名称が新鮮だった。
砂都とやらには、コルトを目指して歩いて四日ほどかかるらしい。
本日野宿二回目である。単純計算でいけば、あと二日で砂都に着く。
それでも昨日今日でだいぶ距離が稼げたというから、それなりに早く着くかもしれない。
昨日、グレアムに宿屋から追い出されるというハプニング以外は、砂漠横断は比較的平和に進んだ。どれほどの距離を進んだかは千明には想像もつかなかったが、だいぶ進んだな、とぽつりとセトが呟いたところで野宿を言い出したので、それなりに進んだのだろうと思われる。そして今日も特に何事もなく砂漠横断し、適当なところで野宿することになった。

砂漠用の衣装の効果はすばらしかった。
もともと、灼熱の太陽対策に、水魔法と風魔法が組み込まれている糸で生成されているという衣装は、お粗末な千明のセーラー服などはるかに凌ぐ機能を秘めていた。
まず、熱くない。
いや、あついのはあついのだが、熱い、から暑い、までには体感温度が軽減された。
そして風を孕む衣装の作りが歩くたび小さな風を巻き起こし、汗を掻いた体を乾かして快適にしてくれる。とんでもない優れものであった。

高くなかったのかと問うと、んなもんガキが気にすんじゃねえと、言われた。なにから何までお世話になっていることに心苦しくならないわけはなかったが、ここでしつこく食い下がっても、セトにお礼できるようなものは何一つ持っていないので、千明はとりあえず礼を言うに留めた。

更にいえば、昨日今日は歩いた場所もよかった。丁度そういう地帯だったのか、足を取られる砂地というより平らな岩が続いたのも千明の足をさくさくと動かした要因だ。
相変わらずセトは小まめに水分を補給し、休憩を繰り返したが、お陰で千明の疲労も一昨日と比べると随分と軽い。
そうして今日、野宿を決め込んだ場所はごつごつとした岩場である。夕食はコックローチではなくポピュラーな非常食だという固いクッキーと、干し肉を食べた。クッキーは咥内の水分を全て奪われたが、めちゃくちゃ美味しかった。ごちであった。


辺りは砂と岩、そして上には星が瞬く夜空しかない。
気温は低く、時折吹く風は指先をしびれさせるほど冷たい。
そんな寂しい場所で、寂しさを感じずに済んでいるのは、セトのお陰だな、と思う。
それを言葉にはできないが、カードで呼び出したのがセトでよかったとも、今は思う。
まだ出会って三日ほどしか経っていないが、それでもまるで鳥の雛が刷り込みでなつくように、自分はセトを信頼していると自覚がある。

(だってこの世界で、名前を知っているのはセトだけだ)

そして千明の名前を知っているのも、セトだけなのである。
たったそれだけのことが、まだきて日の浅いこの孤独の世界での支えになっているようだった。

(でも頼りきったらだめだ。セトはカードの人。緊急事態以外、カードなしでやっていけるくらいしっかりしなくちゃ)






空を見上げて、イト、コルト、ミット、ヒントゥ、ソワ……と数えている千明を、セトは腕を組んで観察していた。

やはりどこからどう見ても普通の娘である。
グレアムの出現で話がうやむやになったが、本人が言うには彼女は別世界からこの世界へ落ちてきた異邦人であり、ペト神と思わしき人物と接触し、ほぼルール違反といえるような万能の召喚カードを手にしている。
しかしそれ以外は普通の、至って平凡な娘である。
セトも皇子という立場ではあるが、城下町に繰り出して下町の仲間たちと交流することも少なくない。勿論身分は限られた者にしか明かされていないが、内密な視察と称すればいくらでも街を廻ることができる。そういった場面で知り合う街娘と千明にそう大きな違いはないように見えた。

「……お前は」

じっと千明を見ていると、無意識にそう声をかけていた。
千明が星からセトへと向き直り、じっと黒い瞳で見上げてくる。
その黒い瞳が炎を反射して、ゆらゆらと煌いているように見えた。

「なんでもない」

無言で見つめられ、セトは己がなにを言うつもりだったのかすっかり解らなくなってしまった。ごく自然な仕草で、千明から視線を外す。
黒目黒髪は特別珍しい外見ではないが、軍国シュバイツでは、言うなればセトの周囲にはいない色だ。
普段、色素の薄い自分の色を見慣れていると、千明の瞳の存在感は凄まじいものに見えた。

「?」

千明はそんなセトに不思議そうな顔を向けたが、また空を見上げて星を数え始めた。なにも口にしなかったのは、なにか喋れば開いた口から今覚えたことが全て吹き飛んでいきそうだったからだ。

イト、コルト、ミット、ヒントゥ、ソワ……そうして千明は繰り返す。
そうして星を見上げて無心に繰り返していると、なんだか落ち着いてくるような気がした。
意味が解らない聞きなれたない言葉だからか、お経のような効果でもあるのかもしれない。
イト、コルト、ミット、ヒントゥ、ソワ……唱えている間だけは、この独りぼっちの世界で、じわじわと滲んでくる孤独を無視できるような気がした。