「……どういうこと」

その雄大ともいえる巨大なお尻を眺めながら、千明は呆然と呟いた。
セトの鎧の出っ張りを掴んだままだった手が、硬直して動かない。
それをゆっくりと外しながら、セトは平坦になった声で答えた。

「……この世界には魔力が溢れている。生き物という生き物に、強弱はあれど魔力が宿っている。魔力なしで動いているのはゴーレムくらいだが……その魔力には、相性ってもんがある。それは魔力の大きさが強ければ強いほど顕著に顕れて、魔力の相性の合わない獲物を喰らえば、喰らったほうもただでは済まない。腹を壊すか生体バランスを崩して動けなくなって死ぬかのどちらかだ。グレアムは神獣の類になる。本来なら生きるための糧など必要ないような生き物だが、……お前が現れた」

だからそれどういうこと。

「……生きるための糧って、ご飯ってことだよね?」
「そうだ」

鎧から外された千明の手を離さないまま、セトはこっくりと頷いた。

「それと私と、どう関係があるの」

千明の声は、自覚もなく震えていた。

「……お前は、世界中の人間以外の生命にとって、めちゃくちゃ美味そうな飯に見えるってことだ」

だからそれどういうことなの。



セトの説明はこうだった。

この世界に生きる人間が食用にする程度の動物がもつ魔力程度ならば、人間が食べても特に問題はないという。しかし人間、それ以上の生物となると、内包する魔力との相性が関係してくるという。それは先に述べたとおり、食べることで体内に取り込まれた魔力との相性により腹痛で済む場合もあれば、自前の魔力と取り込んだ魔力が体内で拒否反応を起こし、生体バランスが崩れて動けなくなる場合もあるという。
それはつまり、どれだけ飢餓に苦しんでいて、目の前に家畜以外の生物がいたとしても、簡単には食せないということだ。

大変だな、と千明は他人事のように呟いた。

「大変なのはお前だ。魔力がないお前は、腹を空かせた生物達にとって腹を下す心配をしなくていいご馳走ってことなんだぞ」

セトが怖い顔(声から察するに)で千明を見たが、そんなことを急に言われてもあまり実感が湧かない。
確かにグレアムは千明を追ってきたが、セトのお陰で逃げおおせたわけであるし。

それに。

「でももし危険な目に遭っても、このカードで誰かに助けてもらえばいいんじゃないの?」
「そこだ」

万能カードを手にしている千明には、何故セトがそこまで危機感を抱いているのか解らない。そんな千明の目の前に、セトが指を突きつけた。

「そのカード自体に謎が多すぎる。危機に陥ったとき、正常に作動するのか?作動したとして、カードは無償奉仕じゃねえ。呼んだ人間によっては呼び出した人間の魔力を引き換えにしているやつだっている。その場合、魔力を持たないお前はなにを差し出す?……体か?その棒切れみたいなのじゃ、どう考えても一仕事するには足りねえぞ」

なんて失礼なことを言いやがるのか。
千明は信じられない思いで正面に立つデリカシー皆無の男を見た。
しかし、セトが言っていることはもっともだ。
千明には、差し出すものがなにもない。お金も権力も、魔力すらない。

「……お前がカードに頼ってこれからを生きていこうがお前の勝手だが、俺の意見としちゃ、どんな人生でも自分を守る術を持っていたほうが有利になる。そのカードがペト神自ら授けた万能の神具だとしても、呼び出されんのは所詮他人だ。しかもそこに人格が伴うかどうかはっきりしねえ。本来なら、呼び出す側が持て余すようなのが呼び出されることはまずない。元々、労働の頭数をそろえるために開発されたようのもんだからな。……だが、お前のカードに関しちゃそれは適応されない。強いは強いが、悪趣味なクソ野郎が現れたら?助ける代わりに奴隷になれと言われて首に鎖をつけられたら?そのカードを奪われて悪用されたら?……最終的に、お前を守れるのは、お前しかいねえってことだ」

大変な正論であった。
千明は反す言葉もなく、唇を噛み締める。
ここは、平和な日本ではない。
市民の危険を取り締まる警察のような機関もあるのかないのかはっきりしない。あったところでどこまでしてくれるおかもわからない。そして、周囲の生物達に魔力がない千明が大変おいしそうなご馳走に見えてしまうということは、どこかに保護されたとしても、それでも危険から完全に隔絶された状況にはならないということだ。
第一、今千明が知っているこの世界の常識は、あのゴキブリに関してと、皆が皆魔力を持っている、のふたつしかない。

(――強くならなきゃいけない?自分を守れるくらいに?)

思わず、俯いて見慣れないブーツの足先を見つめた。

できるのか、と不安になる。
この世界での魔法を、千明には使えない。
その魔法を使うこの世界の人間含む生物相手に、一体どうやって太刀打ちできるというのか。

(だめだ。今は強くなるとかどうとか考えていても具体策なんか思いつかない。……知らなきゃいけない)

まずは、この世界のことを。
どちらいせよ、セトといられる間だけでも、この世界のことを勉強しようと思っていたのだ。
未来への不安は相変わらず胸に渦巻いているが、自分の中でなんとなくだが方向性が定まったことで、千明は自分が落ち着いていくのを感じた。
なにより今、自分がひとりじゃないということが大きい。
厳しくともはっきりと、千明の現状を言葉にしてくれるセトがいる。

「……セトは」

ふと思いついて、千明は顔を上げた。

「セトは、どんな報酬を要求するの?」

千明がそう口にすると、セトは虚を突かれたような顔になった。思いも寄らないことをいわれたと、兜越しでも顔に出ているのが解る。

沈黙が訪れた。


「………………そうだな」

やっとこそ口を開いたが、セトの口から続きが語られることはなかった。