「……ありがとう」


ぐちゃぐちゃな翠蓮の思考とは裏腹に、黎祥の口から出た言葉は温かく、深い言葉だった。


何に対してのお礼なのか、まだ、何も解決はしていないのに。


目を瞬かせた翠蓮を優しく目を細めて見た黎祥は、


「……遊祥を、産んでくれてありがとう」


と、再び、優しく柔らかな声で言った。


立ち上がらず、黎祥を見上げたままだった自分の口からは、


「え………?」


戸惑いの、音しか聞こえない。


黎祥の手は微かに震えて、唯一触れた指先は相変わらず、氷のように冷たい。


「すまない、私のせいで……」


寂しそうな瞳は、見覚えあるよ。


それは貴方が、本音を我慢している目。


「―どうして、謝るの……」


その瞳を、自分は何度見ただろう。


貴方がその瞳をする時は、いつもいつも、翠蓮のために言葉を飲み込んでくれているときだ。


気づいていながら、心の中ですら、その瞳について触れないようにしていたのは、蝋燭の火のように翠蓮の心が揺れていたからだ。


「私が、貴方の子供を堕ろせなくて……でも、貴方が傷つくのを見ながら、自分の傷つく心を無視しながら、貴方の隣で、貴方を信じられずに生きていくのが嫌で、皇子を……遊祥を産んだ後も、彩苑の記憶が貴方との幸せな記憶を見せてくるから、ここを去る決断が出来なくて……結局、私の覚悟が足らなくて、全てが……、黎祥を傷つけた」


手は繋いだまま、俯く。


ぽたぽたと、片方の手に落ちる滴。


繋がれた手だけが、か細い糸のように、翠蓮と黎祥を繋ぐ。