「―笑ってましたね」


記憶を遡り、彼の笑顔を思い出す。


あの時の自分は何も知らないで、ただ、黎祥を想うことを許されていた。


下町で死ぬまで生きて、機会さえあれば、結婚するんだろうとか、そんなことを考えていたのに。


「幸せそうに?」


「それ以前のことをよく知らないので、何も言えませんが……まあ、私の幼なじみと馬鹿やって、笑っていたので……楽しんでいたのは、事実かと」


皇帝相手に『馬鹿』という、真っ直な言葉は不敬罪に当たるかもしれないが、今更、取り付くるつもりは無い。


衛兵に頭を下げて、門を通る。


後宮においては豪勢とは言わないらしいが、―例え、父親が皇族で、母親が名門貴族だったとしても―根っからの平民である翠蓮からしたら、豪勢としか言えない。


龍睡宮はそんな門に贅沢にも、二名の衛兵がつけられていて、こうして動き回っている以上、側仕えを増やせないのが寵姫としてどうだろうか、と、怜世さんは悩んでいたけれど、正直、翠蓮的には気分が楽で仕方ない。


「馬鹿、かぁ」


「すいません、お気に触りました?」


「んーん。全然」


扉を開けると、そこに居たのは杏果。


「……何か、掴めた?」


本来なら、杏果は主の帰還を迎える役目なんだけど。


今は一薬師だし、取り繕う必要は無いってことで。


「そうね〜とりあえず、いくつかは。杏果、流雲殿下が大切な話をしてくださるそうなの。貴女も聞かない?」


「え?でも、私は……」


翠蓮は、この後宮をいつか去る。


だから、きっと杏果が聞いてはいけない話は、翠蓮も聞いてはいけない話。


でも、この掴めない親王殿下は、決して嘘はつかないから。