冷武帝より、数代前。
彩陽帝の治世にて、他国との交渉のために建てられた宮殿と彩陽帝が唯一の寵姫のために作った宮殿、そして、皇太子のための宮殿があった。
交渉のための宮殿は西和殿(セイワデン)と呼ばれ、
寵姫のための宮殿は恵鈴宮(ケイリンキュウ)、
皇太子の住まいである宮殿は東和殿(トウワデン)とされた。
尚、先帝の皇太子は過度の装飾好きであり、東和殿は使用しておらず、先の皇太子のためにあった派手な皇太子宮は、革命の際に焼け落ちた。
恵鈴宮は、未だ主なき宮として管理されている―……。
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