研修の中のある夜、暗い玄関に座る背中を見つけた。
暗がりに座っているだけではわからなかったかもしれないが、携帯を片手に話をしていた。
一階の玄関の方まで来る奴もいないと思ったのだろう。
そこには懐かしい公衆電話があったのだが、その椅子に座りながら携帯で話をしていた。

食堂の自販機に飲み物を買いに来て、うっすら聞こえた声に近寄ってみたのだ。

すぐに分かった。
印象的な髪の毛が見えたし、声でも分かってたし。

実家は田舎の方らしい、家族に電話してるのだと分かった。
ホームシックなのか少し鼻を詰まらせたような声で。

「お母さん、みんな元気?キンタローは?元気?」

まさか・・・弟の名前じゃあるまい。犬か?きっとペットの名前だろう。

「会いたいなあ。五月の連休には帰るから。ちゃんと伝えといて。」

まさか隣の家の幼馴染の男の子、なんてことあるか?

「えっ、ちゃんと病院連れてった方がいいよ。・・・うん。」
きっと犬だ。そう思った。

それからも少し話が続いて電話を切った彼女。
しばらくそのまま動かないまま。

そっと自販機まで戻り、足音を立てて玄関に行ってみた。

「あれ?只野さん?どうしたの?」

わざとらしかったかもしれないけど、声をかけた。
椅子に膝を抱えるように小さく座っていた彼女。
ビックリして立ち上がりながら振り向いた。
泣きそうな顔がびっくりした顔になり。
少し警戒する顔になった。


そのまま自分の両手のジュースを見て、顔を見られた。

・・・・じっと顔を見つめられた。

目が悪いのかな?
そう思うほどじっと見られた。

研修の時によくあるお見合いパーティーの輪のように一人対一人で自己紹介するゲームのような時間があった。
自己アピールの練習だったらしい。
天気の話と、名前誕生日などの個人情報はダメ。会話をすること。そんな条件だった。

その時もそんな目で見られた。
自分がバイトの面白エピソードを話していた時だった。

勝手に誤解してしまいそうな目だった。
他の奴もそう思っただろうか?

黒いストレートヘアときれいにそろったまっすぐな前髪と、黒目が大きな丸い目。
それでじっと見られたその時からどうしても気になっていた。
いや、もっと前からかもしれない。


多分本人も気が付いてないかもしれない、癖なんだろう。
考え事をしながらじっと目を合わせる。
遠くから見る限り、女性にもそんな感じだった。


引き付けられるようなその目に耐えられなくて、自分の両手のドリンクを掲げて言った。

「なんだか喉が渇いて。どっちも飲みたいと思って買ったんだけど、一本あげる。どっちが飲みたい?」

甘さ控えめの紅茶と粒粒入りオレンジジュース。
オレンジジュースは懐かしくて飲んでみたかった。
嘘は言ってない。

紅茶を指さされたので差し出した。

「ありがとう。」

相変わらず視線が動かず。

「今飲む?」

「・・・・・ううん。」

首を振られた。

「研修どう?」

漠然としてるし、一緒に参加してる同僚が聞く質問じゃないけど。
自分が二個年上だと覚えてくれてるだろうか?
つい大人ぶったのかもしれない。

「まだ緊張してる。」

「そうなの?でもずっと一緒に働くかもしれないし、仲良くしたいね。・・・・・皆。」

最後に付け足した。
また顔をじっと見られた。
返事はない。
困ってしまって少し視線をずらす。さっきあげたジュースに。
嬉しいような気がするけど、なかなか慣れない・・・・。

「あ、これ、ありがとう。」

お礼を催促したつもりはなかったけど、そう言われた。
ゆっくり歩きだす彼女と部屋のある二階へ向かう。

「あと少しだね。研修終わったら本当に仕事なんだなあって、きっと・・・ここでのこととかも懐かしく思うかも。」

廊下を階段の方へ歩きながら、前を見ながらそう言った。

「うん、そうかもね。」

「何かあったら・・・・思い出して。」

ゆっくり前後して階段をのぼりながら言った。
最後に視線が合ってしばらくして。

「じゃあ、おやすみ。」

粒粒入りオレンジの缶を振りながら部屋のドアを開けた。
中から同室の仲間の声が聞こえてきた。

「お休み。」

弱い笑顔でそう言われて別れた。